久高島訪問記 其の5 (3)

- ウパーマにとみぃを弔う -

2006年2月25日(土)

天気は雨模様

翌日は7時に起床。外は、空がどんよりとして、雲が低くたれ込めていた。そして、弱いながらも雨が降っている。

泊っていたのは、市場通りと並行して走る平和通りのはずれ。桜坂の裏あたりの安い民宿。中国人の客が妙に多い、ちょっと変ったお宿。

2月から3月にかけての沖縄は、意外と雨の日が多い。前線がちょうど本島の上あたりにできる傾向が強い。その前線が北に上がっていくと本土は梅雨に突入する。沖縄版菜種梅雨とでも言おうか。

お宿は、出るとすぐにアーケードの入るので、傘が無くとも何とかなる。が、久高まで行くのに、傘は必要か。当然、傘なんて持って沖縄まではきていない。

アーケードの中には、安い傘を売る店もあり、そんな中でジャンプ傘をゲット。350円なり~。

久高島では、宿泊交流館にお宿を取っていた。交流館は、食事の提供が無い。
(実は、この時点でも、予約しておけば、朝食は準備していただけると言うことを後で知った)早朝からとくじんもけいもあいていないことは経験済み。よって、2泊分の朝食を調達しておかなければならない。

食材の調達と言えば、やっぱり市場。奥の農連市場では、食材は調達できても、惣菜などは手に入らない。惣菜は、公設市場の裏のすーじぐぁがベスト。

総菜屋さんで、朝食用のうじゅー菓子、たんかんをゲット。

沖縄に来たら、やっぱりそばを食べねば始らない。できれば、浦添のゆーじ小(ゆーじぐぁ)のそーきそばを食べたいところだが、足がなければ、とても行けない。那覇市でも、いくつかのお気に入りはあるが、ちょっと濃いめのしっかりした味のスープが飲みたかったので、壺川交差点角の「こどら」に行くことにする。

雨の中を久しぶりの那覇市内を昔を思い出しながら歩いた。2001年当時は、毎日、このあたりを歩き回っていたものなんだけど、当時は、当り前のような毎日と思っていた。でも、いざ、離れてしまうと、なかなか来ることができない。当時、もっと、踏みしめて歩いておけば良かったなどと思いながら。。。。

そうこうしているうちに、壺川までついた。が・・・・・こどらが休みである。ひ~~~ん。。。。

仕方ないので、ちょっと先のファミレス風「鶴小」でがまんすることに。。。。ところが、開店が11:30なのに、まだ11時を過ぎたところ。
ダメ元で、のぞいてみると、ねぇねぇが「オーダーは11時半ですが、それまで中でお待ちになってもいいですよ。」と優しいお言葉。外は雨なので、見かねて優しくしてくれたに違いない。うちなーんちゅねぇねぇのこう言うところが好き。まもなく、注文まで取りに来てくれた。まだ11:20だというのに。さらに好き~~~。

そーきそばは、こどらに比べれば味は落ちるが、それでも、冷えた身体を温めるには十分だった。

さあて、そろそろ約束の時間だ。バスターミナルに向わなければ。途中、スーパーで瑞泉「翔」をゲット。当然、久高で飲むため。島に渡ると、飲物の調達にも苦労する。

2年も前なのに詳細がなぜ分る?

実はこの記録自体は訪問から2年ほど経ったときに執筆したものだ。

旅行に出ると、メモを取る癖がついている。学生時代からの癖か。

そのときの香りはそんとき限りではあまりももったいない。いつでも思い出せるように、最低限の記録をメモに取っておく。すると、それをきっかけとして、当時の記憶が蘇ってくる。

このときのメモは、こんな感じ。ホームページからゲットした「久高島 寅の巻」の裏に、その時々の記録をメモっている。

すると、「鶴小」でのねぇねぇの会話まで、蘇ってくるのである。

さてさて、昨夜、さかえで久高島に渡りたいと言っていた少女「とみぃ二世」は、はたして現れるのか。。。。前半のクライマックスが近づいたところで、紙面が尽きてしまった。   つづく。。。。

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