久高島訪問記 其の1 (1)

- 神の島で心を洗う -

2001年11月17日(土曜日)

ぽっかり空いた週末

11/16金曜日に、沖縄県の高等学校物理教育研究会というところでの講演を依頼され、かつ、翌週19日~21日にJGNフォーラムに参加される大学の先生方の接待という役目が入ったため、11/17と18は出張では滅多にない沖縄での週末となった。

神様が与えてくれたせっかくの週末を無駄に過ごしてはならないと思い立ち「神の島」と呼ばれる久高島に行くことに決めた。

前日の深酒

当初計画だと朝は早く出かけようと決めたまでは良かったのだが、講演が終わった後に講演のアレンジをしてくださった広報の方に誘われて、前島の「まーちぬ家」というたいへん雰囲気のいい飲み屋さんに行ったところから計画が崩れ始めてしまった。

店内は、大きな木をあしらった調度品がたくさんあるのだが、それらは全てマスターが山原(やんばる:本島北部)から自ら切り出したものだという。また、お客様も皆フレンドリーで、カウンター席で隣に座ったのはNHK沖縄の美人レポーター(城間なぎさちゃん)だった。ころころ笑う元気な娘だった。今日の取材で陶器を焼いているおじぃを訪ねたが、そのおじぃからもらってきたという何とも不可思議なおじさんが中腰で笛を吹いている置物を持ってきた。結構重量感があり、そのおじさんの中腰の格好と顔が言いしれぬいい味を出しているものであった。ひとしきりその置物で盛り上がった店内であった。

さらに反対側に座ったのは、お店を何店か持つ社長さん。しかも、その社長さんと意気投合して、その社長さんの持つお店にまで2次会に出かけたものだから、お宿への帰宅は午前様となったことは言うまでもない。

実はこれには後日談がある。12月のとある日、会社にNHK沖縄から封書が届いた。差出人を見ると、なんと、あの美人レポーターのなぎさちゃんからではありませんか。まーちぬ家では名刺をいただいたのに自分が名刺の持ち合わせが無くたいへん失礼しました。また沖縄にお越しの際は云々・・・と丁寧にしたためてあるではありませんか。思わず鼻の下を伸ばしているところを隣に座っている者にしっかりチェックされてしまったのでした。

那覇バスターミナル

朝起きると、案の定頭がんがん状態。うーーーーんとうめきながらもシャワーを浴びて何とか身繕いを整えるが、何せ頭を動かすだけでも痛いものだから、動作ののろさといったら並大抵ではない。結局、当初予定していた8時を大幅に回り10時を過ぎてしまった。

宿泊しているのは、那覇市の楚辺と言うところ。ここから、市内の中心(パレット久茂地:国際通りの西端)までは歩いて15分。那覇市のバスターミナルはその西側に位置する。

沖縄本島内のバスは、市内便と市外便がある。市内便は市内を走るバス。市外便は、都市間のバスターミナルを結ぶバス。

久高島までの船は安座真港から出ている。安座真までは、那覇ターミナルから志喜屋行き38番バスでおよそ1時間。結構長い時間バスに乗らなければならず、気持ち悪くならないかちょっと不安を抱えたままの乗車となった。

安座真港

安座真バス停(現在は安座真さんさんビーチというバス停が新たにできておりより近くなっている)で降りて歩いて5分ほどで安座真港に到着。

二日酔いの頭で乗ろうと思った船は13時の便。ターミナル発10:39のバスなら12時ぐらいに安座真港についてゆっくり食事をしていけばいいと思っていた。安座真には、結構道がすいていたため11:30には着いた。
そこからぷらぷら歩いて安座真港に行き、船の時刻表を見て呆然とする。
13時の便というのは、久高から安座真に向かう船の時間だった。安座真から久高への便は、11:30。がよ~~~~~ん、出たばっか。次の便はと見ると14時。ひえ~~~~~。こんな何にもないところで2時間半もつぶさなければならない羽目に。。。(;_;)

ちなみに船の便は以下の通り。(現在は、新龍丸は引退して代わりにフェリーが就航した。時刻も変わっているはず。行く際には事前にご確認のほど。。。)

     久高島 ~ 安座真港
      運 行 時 刻 表
便  船  名   久高発    安座真発
1 ニューくだか   8:00       9:00
2 新 龍 丸    9:00      10:00
3 ニューくだか  11:00      11:30
4 ニューくだか  13:00      14:00
5 新 龍 丸   15:00      16:00
6 ニューくだか  17:00      17:30(4月~9月)
6 ニューくだか  16:30      17:00(10月~3月)

料金      片道    往復
ニューくだか  ¥740   ¥1410
新龍丸     ¥690   ¥1330

乗船券売り場では久高島の地図がおいてあり1枚いただいた。これは、手書きのものでなかなか味がある。どうも島内には民宿が2件、食堂が2件、貸し自転車屋が1件あるらしい。

時間もあるし、とりあえず、宿だけでも確保しておこうと思い、1軒目の民宿「にらい荘」に電話する。「にらい」というのは、「にらーはらー」というあの世から取ったものらしい。しかし、何度コールしてもいっこうに誰も出ない。

そこで、もう1軒の民宿「西銘(にしめ)」に電話する。しかし、ここも誰も出ない。う~~~ん。ちょっと不安。。。。ま、行って泊まるところが確保できなければ、帰ってくればいいかというはなはだ安直な考えで納得する。ちなみに、日帰りとなると、14時の船で久高島に着くのが14:15。最終便が出るのが16:30。すると、、、、2時間しかない。も
ったいないなぁ・・・・

そう思いながら、安座真港のすぐ前の食堂でそばを食べた。そばといっても、当然沖縄そばであることは言うまでもない。

そばを食べ終えても、まだまだまだまだまだまだ時間はある。2時間も何してつぶせばいいのか。待合室にいても、こんな時間から来て待っているものなど他にはいない。

そこで、堤防の向こうに「安座真さんさんビーチ」があるのが目に留まる。ぷらぷらと歩いてみることにした。しかし、ビキニのお姉さんがいるわけはなく、広いビーチには人影もない。

波打ち際まで行ってみた。沖縄は全般にそうだが、砂浜の砂は白い。
これは、珊瑚が砕けたものだからだそうだ。珊瑚の枝のかけらがそこら中に散らばり、たまに足の下で「ぱきっ」と砕ける感触がする。

何気なく足元を見ると、そこには、きれいな貝が。。。何という貝か、二枚貝でも巻き貝でもない、おみやげ物やさんで民芸品などに加工されている、丸くて裏にギザギザの割れ目が縦に入った貝(通称「たからがい」という事が後に判明)がたくさん落ちている。こんなものが一般の海岸に落ちているのを見たのは初めてであり、しゃがみ込んでしばし貝拾いをする。

しかし、むさい男が一人で広い砂浜にしゃがみ込んで、一心にきれいな貝を拾い集めている風景などとても想像できるものではない。どこかで誰かが見ていたとしたら、さぞ不思議に思ったであろう。

ニューくだか

そんなことで、時間をつぶしているうちに船のエンジン音が聞こえてきた。時間は13時半。まもなく堤防にニューくだかと書かれた船が停まった。船の形は、平べったい、竹芝桟橋から晴海埠頭に向かう海上バスのような形で、それを非常にミニチュアにしたようなもの。乗客は40人も乗ればいっぱいになってしまいそうなものだった。

それでも、20人ぐらいの乗客が乗り込んだ。観光客は私以外はいなそうだった。皆顔見知りらしく、周囲の人たちと談笑をしている。

さらに、段ボールや日常品のようなものがたくさん積み込まれた。私の足元も、これらの荷物でいっぱいになった。

14時、定刻に出発。堤防を抜けるまではたいへん穏やかであった。が、いったん外海に出ると波しぶきが船室の窓を立て続けにたたく。船はあたかもダッチロールのような形で揺れ続けた。しかし、昼食を食べて、多少回復した二日酔いの体にとっては、船酔いをするほどのことはなく、一安心。25分ほどで久高島の仁徳港に接岸した。そして、記念すべき久高島への1歩を踏み出した。

久高島

本島南部東側の知念半島の東方5.3kmに位置し、北東から南東に細長い小さな離島。面積1.38k㎡、長さ3.2km、幅0.7km、周囲約8km、最高標高17.1m(ウプンディヤマ)。大型台風の時に波が島を越していったという話がある。

地質は島尻マージと呼ばれる赤土で、土層が薄く保水力もない。畑地には石灰岩が露出し、農耕に適していない。沼も川もない。水は雨水が珊瑚石灰岩が吸収し、それが岩の間からしみ出る程度。

集落は島南端にある。人口は1997年4月1日現在115戸、248人(1974年では433人)。H13年10月現在、小中学生13人(別途宿泊交流関連16人)。
台風にも落葉しない常緑のフクギの古木の屋敷林と、石灰岩の野積みの石垣が今日でも多く残っている。

島作り神話

琉球開闢(かいびゃく)の祖といわれるアマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方ニラーハラーから流れ着いた。当時の久高島は波間にたゆたう不確かな存在であったのをアマミヤが持参のシマグシナーという棒を立て、神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらった。
それで久高島が出来たと言われている。その後、アマミヤとシラミキヨは本島に渡っていき沖縄の人々の祖先になったということである。

人作り神話

昔、久高島の対岸にある百名(ひゃくな)から、シラタル(兄)、ファガナシー(妹)が船で久高島に渡ってきた。最初は島の南端の徳仁(とくじん)港で、7回寝る場所を変えながら魚介類を捕って暮らしていた。その後、島の東海岸沿いのアグルラキ(御嶽(うたき)の一つ)に移り住んだ。
二人は鳥の交尾を見て夫婦になり子供を産んだ。これが、久高島の始祖である。

宿探し

島に着いてからも何度か民宿に電話したが、いっこうに誰も出てくれない。小さな村落だから直接行ってみようと思い、にらい荘に行った。
港から歩いて5分もかからずに着いた。しかし、誰もいない。人気がない。次に、民宿西銘(にしめ)に向かうが、それらしい看板の出たうちがない。ペンキ塗りの工事をしているうちがあるが、看板らしきものは出ていないため行き着くことが出来なかった。

仕方なく、港まで戻り、乗船券売り場の隣の売店のお姉さんにどっか泊れる処はないかを尋ねた。が、このお姉さん、東南アジアから来た方らしく、今ひとつ日本語がよく分からない。売店の隣のレストランに連れて行かれてそこの上品なおばぁに泣きつくこととなった。

おばぁはすぐに「だいじょうぶさぁ。交流館に泊れるさぁ」といい電話をかけてくれた。ところが、なんと満室とのこと。しかし、宴会場の舞台の上なら泊れないことはないとのこと。とにかく、どんなところでもいいからとお願いする。

お宿までの地図を描いてもらおうと、安座真港で入手した久高島の地図を出した。すると、「あげ、これは、私が40年前に描いたものさぁ。こんな古い地図、まだ使ってるのかい。ずいぶん変わってるのにねぇ。」と遠くを見る目をした。(後にこのおばぁは真栄田 苗さんと判明)

宿泊交流館という処までの道順を聞き、ぷらぷらと古い家並みの間を歩き出した。

久高島宿泊交流館

古い民家の続く道を5分も歩くともう家並みはとぎれてしまった。角を曲がると、あまりに民家とギャップのあるきれいで大きな建物が目の前に現れた。宿泊交流館であることは一目で分かった。

玄関からはいると、頭の薄いおじぃに近い方が出てきて対応してくれた。この方が施設長の西銘(にしめ)さんであることはあとで分かった。
西銘といっても民宿とは無関係らしい。久高島には、西銘という性が多い。

すぐに部屋・・・舞台に案内された。確かに、大きな宴会場の向こうの大きな舞台(30畳もあろうか)だった。舞台の上に畳が敷かれ、隅には布団が高く積み上げられている。大学のサークルなどの合宿などに使われるのであろう。舞台の緞帳は下りており、そでから出入りすることに。

舞台の隣には、音響機器の設置された3畳ほどの部屋があり、そこが西銘さんの寝起きしている部屋とのこと。

予想していたよりもずっときれいで畳も敷いてあり、布団もふわふわだったので、大満足。しかも、西銘さんがふだん使っている自転車を貸してくれるという。これで貸し自転車代も浮くことに。ラッキー。さっそく自転車を借りて散策に出かけることにした。

穀物伝来神話

先ずは東海岸の伊敷浜に向かった。ここは穀物伝来神話の穀物が流れ着いた浜である。

昔、大里家(ウプラトゥ:最も古い始祖家)にシマリバー(女)とアカツミー(男)が住んでいた。ある日、アカツミーが伊敷浜で漁をしていたところ、沖の方から白い壺が流れてきた。アカツミーは何とか拾おうとするが、沖に戻されてどうしても拾うことが出来ない。アカツミーは一度帰りシマリバーに話すと、シマリバーはヤグルガー(井泉)で身を清め、白い着物を着て拝めば取れると教えてくれた。

ウパーマの星砂

伊敷浜よりも数百メートル北の東海岸の浜。石灰岩の岩の所々切れたところに100mほどの砂浜が点在している。西表島の最北端の浜にある星砂は全国的に有名だが、実はこのウパーマにも同じものが存在する。

西表島は、9月に行く予定であったが、迷走台風16号のおかげで、石垣島からの船が欠航してしまい、結局わたれずじまいであった。そのため、西表島の星砂がどれほどのものかは分からないので、比較は出来ない。

ここの砂浜の砂は、白い珊瑚砂と混ざって少し黄土色っぽい粒が存在する。包含量は全体の3-4割といったところか。また、あまりとげとげして星の形をしたものはそのうちのさらに2-3割といったところか。それ以外は概ね角の取れてしまった丸い形をしている。

そんな砂の合間にでっかい巻き貝を発見。貝の口の部分がピンク色のグラデーションとなりとても美しい。直径10cmもあろうかという大きな貝だったが、あまりにもピンクの部分が美しいので、奥様へのおみやげとして持って帰ることにした。

カベール植物群生

南北に縦貫する農道と東海岸の間には植物群生林が細長く挟まれて存在している。伊敷浜やウパーマに出るためには、この森を抜ける必要がある。森には、所々に細い道が存在し、そこを抜けるといきなり東海岸に達する。この森には、本土で普通見かける植物とはかなり趣を異にした植物が群生している。

主なものを以下に挙げる。ちなみに、これらの植物名を私が全て知っていたわけではない。クバやアダンといった今までに接して覚えたもの以外は、カベール岬の案内板に記されていたものを写させていただいた。

・ビロウ(クバ):これは、ちゃらさんでもよく出てきた小浜島のおじさんがかぶっていた笠の材料となる木。椰子科で、背が高く葉の細い団扇のような葉が先端に茂っている。この団扇のような葉をうまく丸めると、ちょうど笠の格好になる。久高島では、クバという呼び名が一般的。この木は、最も神聖な木として久高島では特別視されている。

・アダン:パイナップルのような実がなる。最初、万座毛でこの木にたくさんのオレンジ色をした実がなっているのを見たときには、パイナップルがたくさんなっている~~と本気で思ったものです。(お恥ずかしい)この木は、枝がまっすぐ伸びずに横方向に伸びるところが特徴的である。

・モンパノキ(マシューキ):カベール岬で初めて名前を知った木。大振りな葉っぱが薄いグリーンをし、表面に細かい毛が生えているのが特徴。

・ウコンイソマツ:海岸のごつごつした石灰岩の上に生えているたいへん小さな木。しかし、幹が黒い点が特徴的。最初、目にしたときは、バーベキューをやって、木が炭になっているようにしか見えなかった。
木の幹が黒いというのは、何かとても変。

・クサトベラ、トウツルモドキ(ハブイ)、アカテツ(チーギ)、ヤエヤマアオキ(ブッカカー):上記以外に群生している植物。

()は現地呼び名

カベール岬

久高島の最北端の岬。沖縄のご多分に漏れず、断崖絶壁といえども柵や手すりは一切無い。飛び込みたい人はどうぞと言っているかのよう。
私が訪れたのが11月であり、そろそろ季節風が強くなり始めている時期とあり、結構向かい風が厳しい。また、風により波もずいぶんと高く、岸壁の岩に砕けたしぶきが露出した体の部分に気持ちいい。しかし、何もないところ。すぐ向こうには、本土が見える。しかし、これだけ近くても、本土とこれほどかけ離れた環境があることは驚きである。

生き物

カベール岬でしばし時間をつぶし、来た道を自転車で戻っていたところ、目の隅で何かが動いた気がした。おやっと思い、自転車を止めて目を凝らした。道ばたに大きな紫色の花のつぼみ落ちている。

しかし、周りを見渡しても、そんな花の咲いている木は見あたらない。
誰かが落としていったのか。しかし、さっきは確かに動いたように見えたが。

さっそくつまんでみた。すると、それは、なんとヤドカリだった。貝の大きさは、6-7cmとかなり大きい。しかし、その貝殻に収まりきれないでっかいヤドカリが身を縮めて一生懸命擬態している。しかも、どぎつい紫色。これにはびっくりした。しかも、海からは100mも離れていようかというところ。こいつはどんな生活をしているのか。

ヤドカリくんをその場に放し、自転車をしばし走らせると、カベールの生き物を紹介した看板が。その中に、紫色のヤドカリも紹介されているではないか。その名もそのものズバリ、「ムラサキオカヤドカリ」。
これほどそのままの命名を受けた生き物も珍しいのではないかと感心してしまった。

さらに、カタツムリの殻を背負ったヤドカリがあちこちを歩いている。
何ともみすぼらしいプレハブの家に住んでいるという風情で情けない格好である。ヤドカリには、やはりちゃんとした巻き貝を背負ってもらいたいものである。

本土の秋という気候だから赤とんぼがたくさん飛んでいそうなものだが、ススキは生えているにもかかわらず赤とんぼは全く目にしない。その代わりに見たことのない胴が黒いく尾の細いトンボが飛んでいた。初めて見るトンボの種類であり名前は分からない。

さらに、西海岸に向かって走っていくと野生のニワトリ(?)が道ばたに現れた。こちらを見るとそそくさと藪に逃げ込む動作は、飼育されているもののそれではない。まさに野生のままの姿だ。

猫の島

久高島には、猫が多い。着いたときからあちこちに猫がいるなと思ってはいたが、本当に多い。あっちにもこっちのもたむろしている。住民も皆おおらかで、猫に餌をやっているところも見かけるので、増えたのだろうが、それにしても多い。住民が250人足らずというのに対して猫はその倍はいそうである。

ウワーフール(豚便所)
(ウワー:豚(本当はワは小さく発音)(フール:便所)

ウワーフールは、耳にしたことはないかもしれないが、トイレの下に豚を飼い、人の排泄物を餌としていた話を聞いたことのある人は多いのではないだろうか。

私は、玉泉洞王国村で、保存された旧民家の裏にあるウワーフールを見たが、なんと、久高島ではほとんどの民家に、まだ現存するのである。
さすがに今でも使われていることはないが、民家敷地の北側隅にウワーフールが残っている。大きな大きな和式便器を二つ並べたような格好の石で出来た建造物である。その上に小さな穴の空いた排泄場があり、下が豚を飼育する小屋となっている。

それにしても、ウワーフールを使っていたのは、ずいぶんと前のことになるのだろうに、いまだに現存すると言うことは、今の民家もそれほど昔に建てられたものと言うことか。ちょっと感動した。便所を見て感動というのもおかしなものだが。

旅の道連れ

2時間ほどかけて島内を概ね一周した。夕方になったので、宿泊交流館に戻った。すると、西銘施設長が待っていたように寄ってきた。

何でも、もう一人の飛び込み客があるとのこと。最終の船で来てしまったので、追い返すことも出来ずに、OKしたとのこと。しかも、若い女性とのこと。

そこで、私が寝させていただくことにした舞台の脇の音響室を使うことで何とか1泊させるとのこと。しかし、その部屋は施設長が使っている部屋だが、施設長はどこで寝るのだろう。

そんなことをぼんやり考えていると帽子をかぶった女性が現れた。

富田みえこ。23歳。福井(海沿いの町)出身・在住。職業保母。夢は離島の幼稚園の保母になること。現在幼稚園保母1年目。昨年はフリーターとしてバイトで稼いだ金を持って1ヶ月沖縄離島、主に八重山巡りをした。今年7月に初めて久高島を訪れ惚れ込み、再来したとのこと。夢も変わっているが、おっさんがすぐ隣に寝るという状況をいともしないところはただ者ではない。さて、どんな夜になることやら。期待半分、不
安半分・・・・・

夕食

その後、みえこさんは夕日を見るといって自転車で出かけていった。
一瞬行こうかとも思ったが、ちょっと曇りがちであったこと、本島があり海に沈む夕日ではないこと、いきなり一緒に出かけるのもはばかられたことなどから、宿で久高島の本「日本人の魂の原郷沖縄久高島/比嘉康雄/集英社新書」などを読むことに。

小一時間も経った頃、あたりがとっぷりと暮れてからみえこさんは帰ってきた。ちょうど小腹がすいた頃だったのだが、彼女が持参した「ぽうぽう(沖縄のおやつ)」をくれたので、おいしく頂いた。

私は布団に寄りかかったまま本を読んでいると、疲れているのかみえこさんは隣で寝息を立て始めた。う~~~ん、うら若き女性がこんなに無防備でいいのかぁ。。。

しばらくして(18:30頃)、施設長が、夕食を誘いに来た。

この交流館、食堂がない。よって、外で食べるしかない。この交流館を作る際に、食堂をどうするかかなり議論したらしい。しかし、結論としては、自炊のための設備は作るが、食事を提供することはしないと言うことになったそうだ。レストランの併設も検討されたが、レストランは港のそばと、交流館とは離れたところに作ることで落ち着いたとのこと。

しかし、食堂を作らなかったことは、昼食と夕食に関しては問題はなかったが、朝食が無いというのはちょっと困りものらしい。なんと言っても、コンビニなどがあろうはずもない島である。レストラン1件、掘っ建て小屋のような食堂1件、あとは船のチケット売り場の売店を除くと店らしい店はないのである。

西銘施設長につれられて、みえこさんと三人で港のレストラン「とくじん」に入った。さっそく島で一番おいしいものを食べようとしたが、既に2つある定食は品切れ。メニューにはないが、魚のマース煮があるというので私はそれを食べることに。

みえこさんは、久高島の特産品である海ぶどう丼に(海ぶどう:小さなブドウのような格好をした海藻。海ぶどうには、宮古島産と久高島産があるらしいが、久高島産の方がおいしいらしい。沖縄土産として有名だが、保存する際に冷蔵庫に入れては絶対にだめ。溶けてしまうらしい。
ぷつぷつとした食感がとてもいい。ポン酢醤油で食べると美味。)。

マースとは塩のこと。要するに、魚を塩水、つまりは海水で煮たものがマース煮である。それ以外の調味料は一切添加されていないから、素朴この上ない味付けであるが、妙にあっさりとしておいしい。

海ぶどう丼はというと、ご飯の上に刻み海苔を敷き、その上一面に海ぶどうを敷いてさらにマグロの刺身を並べたものであり、さらにみそ汁代わりに小さな沖縄そばが付く。

マース煮もおいしいが、海ぶどう丼もぜひ食べてみたい。が、いきなりうら若き女性の盆に手を伸ばして「ちょっとちょうだい」っていうだけの度胸はない。明日、食べることにしよう。

ずいぶんとボリュームのある食事が\1000円。おなかがいっぱいになった。

当然の事として、飲み物は飲んでいる。施設長をかわぎりに、みえこさんと私もビールを頼んで料理が運ばれるまで談笑した。

食事もあらかた済み、島の事などを話していると、地元の人が一人はいってきた。施設長とも顔見知り。さらに、みえこさんとも顔見知り。
何でも、彼女は前回7月に来た際にビーチパーティ(沖縄名物:浜辺のバーベキュー)に参加し、その時お世話になったおじさんとのこと。

施設長は、島の集まりがあり、そこにお呼ばれしていると言うことで、一足先にレストランを出る。その後は、あとから来たおじさんとビールを飲みながらしばし歓談。

みえこさんは、久高島幼稚園の保母さんの就職口がないかを、そのおじさんに頼んでいたらしい。なんでも、近く、今の保母さん(本島から通ってきている)がやめるという話があるらしい。みえこさんは、もし、働き口があれば、ぜひ紹介して欲しい旨、お願いしていた。

私は傍観者であったが、古い慣習の残る島に、いきなりよそ者が入ってきてうまくやっていくのは、結構大変だろう。特に、島には若い女性はほとんどいないところでは、よけいに白い目で見られるような事があるのではないかなどと、他人事ながらちょっと心配になった。それでも、真剣な彼女の態度を見ると、彼女の夢が実現する事も願わずにはいられず、複雑な心境であった。

久高の宴会飛び入り参加

で、結局、みえこさんと私も島の集まりに飛び入り参加することになってしまった。おじさんの軽トラックに乗せてもらい(私は助手席、みえこさんは荷台)連れて行かれた先は、民宿にしめの庭先。

一足先に参加していた西銘施設長の他に、西銘まさひろ(民宿にしめの長男)、糸数夫妻、糸数まお(1歳)始め3人の息子たち、その他民宿のペンキ塗り替えを手伝った人々(4名)のバーベキューにそれにみえこさんと私が飛び入り参加する事となった。

何でも、民宿をやっているおばぁが、本土にいる娘のところに出かけて営業をしていないところを見計らって、民宿のペンキを塗り替えることになり、バーベキューはその作業の打ち上げとのこと。民宿の看板は取り外されて新装開店に向けて書き換えられていたのである。昼間に民宿西銘を探したが見つからなかったわけである。

腹がいっぱいで参加したにもかかわらず、牛のおいしい肉を次から次と出され困ってしまった。焼いてくれたのが、レストランで料理人をしているという方で、それはそれは程良い焼き加減で塩こしょうだけのシンプルな味ながら、美味この上ない。

道に街灯もない暗い民宿の庭先に白熱灯を1つだけかざした中で、10名ほどの島人との語らいは、何ともいえない不思議な空間である。糸数夫妻のお子様、まお、男の子1、男の子2も途中から乱入し、島の宴はいよいよ盛り上がっていった。

そのうちに、三線が出てきて島唄が披露された。最初は西銘施設長、次に西銘まさひろさん。皆、三線が達者で島唄もうまい。ただ、島人どおしが島言葉で話をすると全く理解できない。そのたびにみえこさんと顔を見合わせ二人で首を傾げていた。

そのうちに、三線で、即興の歌会が始まった。みえこさんは指名されると「久高はよいとこ、一度はおいで。私は、いつか住んでみたい。」とうたった。私はそれを聞きながら、ストレートに、気持ちを表に出せてうらやましいと思った。

それに比べて、自分が指名されたときには「今日は食べる方に専念させてください・・・」などとうたうのから逃げてしまったが、その実、いろんなしがらみを考えてしまい、ストレートに気持ちを言い表す事ができない自分のふがいなさを後々後悔したりもした。

ふと、みえこさんの横顔を見ると、涙を流している。見てはいけないものを見てしまったと思い、あわてて目をそらした。

結局、夜中の11時頃まで宴会は続いた。私はかりゆしウェア(アロハ)だけの格好だったので、非常に寒かったが、それでも暖かい島人の皆さんに囲まれて至福の時間を過ごすことが出来た。

獅子座流星群

途中で施設長が退席したが、先に交流館に戻ったものと思っていた。
今晩、施設長はどこで寝るのかちょっと気にかかった。

最後にそこまで送ってくれたおじさんの軽トラックで交流館まで送ってもらった。こんどは私が荷台に乗って。荷台の上で寝ころんで空を見上げると満天の星に圧倒された。こんな星空は久しく見たことがなかった。天の川まできれいに見渡せた。そういえば、こんばんは獅子座流星群が見えるはず。夕食を食べたレストランには、流星群を見るために久高まで来たというおばさんのグループがいたのを思い出した。しかし、見えるのは午前2時頃からとか。

交流館に戻りシャワーを浴び、今晩の流星観察についてみえこさんと話す。結局、2時に時計をかけて起きられたら見ようと言うことで就寝。窓の外には街灯も何もなく、電気を消すと真の暗闇になった。

午前2時、ポケピカのアラームで目を覚ます。みえこさんもアラームをかけると言っていたが起きている気配はない。とりあえずトイレに行って目を覚まし、しばし、起こそうかどうしようか迷ったが、流星を楽しみにしていた彼女だから、起こすことに。

音響室の扉をノックするが返事はない。しょうがないなぁと思いつつ意を決して起こしてやろうと思い、扉を開けるが、真っ暗闇でまるで見えない。手探りで暗闇を進む。何とも夜這いのようであるが、不思議と下心が湧かないのは神の島のせいか。

手で探ると、彼女の腕らしきに触れたので、軽く2-3度たたくと、彼女が目を覚ました。まだ夢うつつの彼女に、2時だけど流星群を見に行くかと訊ねた。

ようやく夢から覚めた彼女と交流館の前庭に出た。交流館のホールの薄明かり以外に明かりはなく、島全体が闇に閉ざされているようである。月は、夕方西の空にある三日月よりも細い1日月を見かけたので、もうとっくに沈んでしまっていた。それでも西の空が少し明るく見えるのは、本島の明かりだろう。

空にはこぼれるぐらいの星がきらめいていた。

さて、流星は・・・と思ったところで、獅子座はどれだ。何でも南の空と言うことであるが、オリオンの三つ星は分かるが獅子座の正確な位置が分からない。みえこさんに聞くと、首を傾げる。いい加減なものである。結局、南の空を二人でボーッと眺めることしばし。しかし、なかなか星が飛ばない。期待はずれか~~と思った矢先に、視角の左隅ですっと星が走った。「あっ! 流れた!!」といったが、彼女は見逃したようである。

今流れたあたりを指さし「あの辺」と言った直後にすーっと大きく光りながら流れた。こんどは彼女もはっきりと見た。外はたいへん寒かった。結局、20分ほど眺めている間に5つほどの流れ星を確認できたが、薄着ではそれ以上立っていることが出来ず、交流館に戻った。ほんの少しの時間であったが、この世とは思えないような不思議な時間であった。

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