久高島訪問記 其の2

- 神の島で赤ミーバイを釣る -

2001年12月27日

沖縄兼務解除

11月末の会議の場で、沖縄兼務の12月いっぱいでの解除が突如言い渡された。長くても翌3月までだとは思っていたものの、いざ、兼務解除により、今後業務で沖縄を訪れる機会が極端に少なくなることを思うと、かなり寂しいものがある。と共に、これまでお世話になった多くの方々に、年末のあわただしい時期にご挨拶に行かなければならないと言う思いも重なり、かなり複雑な心境に陥った。

年末のご挨拶

あれやこれやでスケジュールをやりくりし、何とか沖縄出張のスケジュールを立てたが、結局、年末の最終週(12/24~28)になってしまった。
ただ、調整のつかなかった案件が2件有り、それは、翌1月に、再度沖縄来訪することで調整した。

24日に沖縄入りし、支店の方々、琉球大学の先生方などなど、あちこちにご挨拶に回り、何とか26日までで概ねのスケジュールを済ませた。

さらに、行きつけの山羊料理「さかえ」にも出向き、これまで毎晩のように夕食をごちそうになったお礼と、色々と沖縄の貴重な話をしてくださった常連の方々にお礼を述べた。

こうして、沖縄の諸々に踏ん切りを付けて久高島を再訪することになった。

久高島再び

今回は、最初のような二日酔いの状態ではなく、体調万全で渡ることになった。しかし、冬の海は結構荒れており、ニューくだかはよく揺れた。

前回は、次はいつ訪れることが出来るだろうと考えていたが、なんとこんなにすぐにその機会が訪れるとは思ってもいなかった。

ニューくだかの船室で、あれこれ思いを巡らしているうちに徳仁港についた。

年末と言っても、気温が20度ほどあるので、柔らかい日差しの中で、時間の止まってしまったような穏やかな不思議な空間がそこには広がっていた。

アミドゥシ(豊漁祈願)

港の端の船を引き上げるためのスロープのところに、島の人たちが多く集まっている。近づいてみると、お年寄りから子供までがたくさん集まり、魚を皆でさばいて調理している。この日は2001年12月27日、旧暦で11/13にあたる。

久高島は、昔からのイベントが数多く残っている。それらのほとんどは、神に感謝するものである。そして、11/13に行われるのは「アミドゥシ」というもの。豊漁祈願の行事である。

何をしているかを見ると、なんと、黄色と黒の縦縞、青い色をした熱帯魚をさばいて、網の上で焼き、その身をほぐしてすり身にしている。

それにしても、餅焼き網の上で焼かれる色とりどりの熱帯魚というのは、ちょっと・・・いた、たいそう違和感のある光景である。

山村留学と通信

今回、久高島を訪れた目的は、前回話を少々うかがった山村留学に対して、もう少し詳しく知りたかったからである。

親元から離れて暮らす子供たちが、電話やインターネットといった通信を、どのように活用しているのか、さらに、もっと利用価値のある使い方が出来ないか、何らか役に立てることはないのかを考えてみたかったからである。

ただ、この時期は、子供たちは皆冬休みであり、親元に帰っている時期だったため、直接話を聞くことは出来なかったのが、ちょっと残念だった。

久高島の住民の系譜

久高島の集落は、島の南部にかたまっている。集落の一番北側が、最も古い家である。その最北部に位置するのが大里家(ウプラムトゥ)。今は人の住んでいない家が建っているだけであるが、現在の久高島の住民は、全て大里家の子孫と言うことになっているらしい。

そのすぐ南側に位置するのが外間家と久高家。島の最高位の神女であるノロを出す家である。

イザイホー

12年に1度、午の年の旧暦11月に行われる久高島の最も神秘的な行事といわれている。久高島の女性は、全て神の使いになるといい、その使いになるための神事がイザイホーである。午年に年齢が32~44才の女性が対象となる。

この詳細は、いくつかの本でも取り上げられ、紹介されているため、そちらを参照して頂きたい。

来年が午年でイザイホーの年にあたるが、開催されないだろうと言われている。12年前の午年も、実は、開催されなかった。よって、最後の開催は、24年前になる。そのときの記録は「日本人の起源神の島久高島」という中公新書に詳細に記録されている。興味のある方は、読んでみることをお勧めする。

私がイザイホーの存在を知り、興味を抱いたのは、10年ほど前に星野之宣の「ヤマタイカ」というコミックを読んだことによる。邪馬台国とかに興味を持つ人は、一度読んでみても良いのではないかと思う。久高島には60年に一度という秘祭中の秘祭「ヤマトゥマティ」という架空の行事があり、その謎を解くというストーリである。

フサティムイ

クボー御嶽

島の真ん中辺の西海岸に近いところにある、久高島の中での一番の聖地とされているところである。クボーとは「クバ(ビロウ:椰子科の植物)」という意味であり、クバの林の中の御嶽という意味だという。

男子禁制と言うことであるが、最近は観光化のために厳しくは言わなくなったと言うことである。

クバの林の中にちょっとした空間があり、うこうを焚く質素な炉が置いてあるだけのところである。が、そこに一歩足を踏み入れると、祖先の霊だろうか、何とも言えない重い空気が胸を圧迫してくるような感覚にとらわれる。

そして、不思議と蝶が優雅に舞っている。これまでに、斎場御嶽をはじめ、久高島でも多くの御嶽を訪ねたが、必ずと言っていいほど蝶が舞っている。それも、特別大きなオオゴマダラやクロアゲハといった優雅な蝶である。

久高島には、10ほどの御嶽が今でも存在するが、それらは、遠く祖先が住居としていたところだと言われている。今は枯れてしまっているが、かつては水が湧いていたであろう石灰岩の洞穴であったり、雨がしのげる林の中であったりする。そういうところを、ずっと昔から、人々は聖地、つまりは、祖先に対して感謝する意味で祈りを捧げてきたのであろう。

御嶽には、「冷るうこうでうがんください。使ったうこうや紙銭はお持ち帰りください。」という看板が、必ず立っている。

アミドゥシの供え物であろうか、クボー御嶽には、クバの葉をきれいに編んだ供え物が香炉の脇に供えられていた。

グゥソー(葬所:後生)

島の西海岸は、岩が切り立っており、リーフも少なくあまり明るい印象がない。西海岸一帯は、古くから葬所として利用されていた。しかも、24年前のイザイホーの行われた年には、風葬が行われていたと言うことである。

イザイホーの取材で訪れた記者が、風葬の棺桶を開け、地元に人であれば、それがまだ誰か判別がつく亡骸の写真を撮影し雑誌に載せたことがきっかけとなり、この島での風葬をやめることになったという。

沖縄の墓は亀甲墳という女性の子宮の形をした墓地が多いが、久高島でも多くの亀甲墳が西海岸に存在する。そこから、崖下の石灰岩の割れ目をのぞき込むと、風葬の名残か、割れた素焼きの壺の破片が多く散乱しているのが分かる。

島の人は、滅多に寄りつくことがないと言われている西海岸である。

ムラサキオカヤドカリ

久高島には、多くのヤドカリが道を歩いている。ヤドカリは磯にいるものだと思っていた私には、最初に道ばたを、それも海岸から数百メートルもあるようなところを歩いているヤドカリを見たときはたいそう驚いた。しかも、鮮やかな紫色をし、人のこぶし大の大きさなのである。

一度、殻を持って持ち上げたことがある。最初は殻に隠れようとしたが、その殻がちょっと小さいものだったため、身を入れることが出来ず、殻を捨ててあわてて逃げ出したムラサキオカヤドカリがいた。殻をそばの地面に置き、ちょっと離れてみていると、辺りをきょろきょろと見回した後に、こっそりと元の殻に入り立ち去った。その姿がたいそう間抜けだったので、つい写真に収めてしまった。

アミドゥシの供え物=酒の肴?

宿泊交流館に戻ると、ロビーで施設長と地元の方がビールを飲みながら談笑している。そこにちょいと加えて頂くと、これを食べてみろと言ってなにやら味噌のようなものを小皿に盛りつけたものが出された。箸でつまんでちょっと食べてみると、なかなかいける。特に酒の肴としては、たいそういけそうである。

これは何か聞いてみると、アミドゥシの供え物だとのこと。ということは、もしかして港で見た熱帯魚???? はたしてその通りだった。熱帯魚のすり身を味噌とあえたものだという。う~~ん、久高の神=沖縄の開闢(かいびゃく)の神は酒好きだったのかぁ。

釣りツアーとは

今回の久高行きを交流館施設長に連絡した際、釣りに誘われていた。
どういうものか、あまり考えずに二つ返事で了解した。

施設長に話を聞くと、観光客を呼ぶために釣りツアーを企画しているという。それがうまく行くかを試すために、今日は実験的にやってみるのだという。私はその実験台(^_^;)。

そういえば、安座真港の船待合所に、「久高で金目鯛を釣ろう」というポスターが貼ってあった。

最近の久高島は、きれいなビーチがあるわけでもなく、観光客からも本土の人からも見捨てられたような存在である。そこで、久高島振興会では、宿泊交流館を作ったり、釣りツアーを企画したりして、色々と観光客を呼ぶための取り組みをしている。ちなみに、宿泊交流館の施設長は、久高島振興会の副会長でもある。

ターゲットはアカミーバイ

久高島では、大潮が月に2回ある。大潮の時は、リーフの縁まで潮が引き、歩いて行くことが出来る。縁まで行き、リーフの割れ目に糸を垂らすと、アカミーバイというおいしい魚が釣れるという。ミーバイは、沖縄本島のスーパーでもよく見かける魚であり、味がいいため切り身で数百円と結構な値段がする。ミーバイ(ハタ)は黒い色をしているが、アカミーバイは金魚のように赤い色をしている。

ミーバイは、泳ぐのが非常にうまく、滅多に釣れないという。しかし、大潮の夜だけは、油断して釣れるのだそうだ。しかし、針にかかってからも激しく泳ぐため、岩に糸を切られてしまうことが多く、なかなか釣り上げられないと言う。

大潮が夜に来るのは、冬の間だけであり、釣りツアーは12月から3月までの期間限定と言うことだった。

準備

夜9時半に参加者は交流館のロビーに集合となった。参加者は、久高の方々6名。なんと60近いおばぁも一人いる。ただし、60ぐらいでは沖縄ではおばぁに入らないと言う話もある。それに、たまたまこの日に宿泊している水中カメラマン、ぷらっと立ち寄った男性、それに私の9人である。

竿に仕掛けの準備。仕掛けといっても、単に糸の先に針を付けるだけである。浮きや重りなんてものは一切なし。至って簡単。

釣った魚を入れるたこつぼのような形をした腰に付けるかご。

年末の夜といってもさすが沖縄。それほど寒くはないので、Tシャツの上にフリースを着ただけの格好である。

そして、足から胸までくる長靴(何て言うのでしょう)をはいて腰にかごをぶら下げて釣り竿を持てば準備完了。

ポイントはウパーマ

皆、準備が整ったところで、車に分乗して今日のポイントのウパーマに向かう。ウパーマとは、久高島の東海岸、北よりの星砂がある砂浜の浜である。道ばたに車を止めると、周囲は真っ暗闇。街灯一つない完全な暗闇である。持参した蛍光灯を首から提げ、スイッチを入れるまでは、ほとんど何も見えない世界である。

各自、かごを腰に付け、竿を持ち、浜に向かう。

まだ、完全に潮が引ききっていない。島の漁師さんを先頭に海に入って歩き始めた。実は、このときまで、釣りには船で行くものとばかり思っていた。が、なんと歩いて行くと言うことが判明した。

リーフには、青い色をした1本の足の長さが20cmもあるヒトデ、踏んづけると真っ黒い墨を吐くコウイカ、うんこのような黒くて細長いなまこなどがあちこちにいる。さらに奥に行くと辺り一面ウニだらけのところに出た。とげの根本がちょっと太い茶色がかったウニは、見たことがないが、食べられるのだろうか。施設長に聞いてみたが、食べられるんじゃないかと言うことで興味がなさそうだった。う~~ん、こんなにウニがあるのに食べないのかぁ。もったいないなぁなどと思ってしまうのであった。

まだ、潮が引ききらないので、しばし待つことになった。

いざ戦闘開始

待つこと20分。そろそろいいだろうと言うことで、リーフの縁に向かう。リーフの縁は、浜から見ると白波が立っているところとして認識はしていたが、実際どうなっているかを見たのは初めてだった。

リーフの縁の近くまで行くと、所々、リーフの裂け目が口を開けており、底がなさそうな暗い海が見える。こんなところに落っこちたら、ちょっと怖いかなという感じ。

島の漁師さんたちは慣れたもので、本当にリーフの突端の縁まで行って釣りをするというが、私のような素人にいきなりそれば危ないと言うことで、あちこちに開いた落とし穴のようなところに糸を垂らすことになった。

大潮といっても、結構波は来る。漁師さんに、波に対して体の正面から受けず、ちょっと斜めに構え足をしっかり踏ん張るようにと言われていた。

えさは、魚の切り身。これもきっとアミドゥシの供え物を作るためにつかまえた熱帯魚のなれの果てなんだろうななどと考えながら、針に付けて海中に投じた。釣りなんてするのは、本当に久しぶりだなぁなどと感慨にふけっていると、何かの感触が。竿を動かしてみたところ、針が引っかかってしまったのか全然動かない。あ~~あ、初っぱなからこれかよ~~と、糸を力任せに引っ張り上げようとした瞬間、いきなり糸が左右に暴れ出した。おおっ!!これはあたりか? などと冷静に考える間もなく何とかリールを回して糸をたぐり寄せると魚の影が見えてきた。結構でかい。何とかリーフの上に釣り上げて見ると、30cmはあろうかという立派なアカミーバイだった。

このペースなら、どれだけ釣れることやら。。。と期待したのがいけなかったか、それ以降は、針を立て続けに取られて、手持ちの針がなくなった時点で終了。波に流されて、リーフの岩にでも引っかかるのか、針がすぐに取られてしまった。

結局、釣り始めたのが11時前で小一時間の釣り時間であった。

皆で釣果を集めてみると、50匹ほどか。ただ、素人3人で釣ったのは私の1匹だけ。地元の漁師さんはさすがである。それにしても、何で赤い魚ばかりが多いのだろう。黒っぽいのは2-3匹しかいない。あとは、全部金魚のように赤い色をしている。

真夜中の魚パーティ

交流館に帰り着いたのは、午前1時前だった。それからどうするかというと、釣ってきた魚を皆で一斉にさばき始めた。5種類ぐらいの魚がいたが、アカミーバイだけは、別にしてあとは、全てその場で食べてしまうという。料理人(初回の訪問時のバーベキューで肉をおいしく焼いてくれた方:本職のコックさん)の指示の元、刺身、魚汁があっという間に調理された。

そして、真夜中の宴会が始まった。この魚はあくが強いからなどといわれたが、別に何の違和感もなくおいしく食べることが出来た。もしかして私って、味覚に鈍感なんだろうか・・・とちょっと不安になったりもしたが、別に何でもおいしく食べられるんだからいいじゃないかと開き直った。

久高島ことば

地元の人の話を聞いて・・・が、久高島の言葉はほとんど理解不能。
沖縄本島の言葉と比べて、遙かに難しい。本島の人に言わせると、久高のことばもそこそこ分かると言うが、本島のことばはそこそこ分かる私には、久高ことばは全くだめである。

が、たま~~~に理解できることがあると、とってもうれしかったりする。それが、ギャグだったりすると感動ものである。

魚を食べながら、リーフの縁ではどういうように立って波を受けるかという話になったとき、正面から受けると波を受ける面が広いので、体を横向きにした方がいいと言う。しかし、ただ一人参加したおばぁは、結構太っていた。そこで、誰かが、「あんたは正面より横向いた方が面積が広くなるねぇ。」と言い一同爆笑となったわけであるが、ないちゃーの私以外の二人はきょとんとしている。施設長に「創結マスターさん、今の分かったねぇ」と言われて、今の話が久高ことばで語られていたと初めて気づいた。

宴会の夜は更けて

いつ終わるともない宴会を3時ぐらいに退席し、寝床に入った。これまでたった2回の久高訪問であったが、それぞれにかけがえのない思い出を作ることが出来た。ただ、地元の人にすれば、大多数の平凡な日々があり、たまたまイベントの時に居合わせたラッキーな旅行者程度にしか認識してはもらっていないのだろうと思うとちょっと寂しい気がした。

さようなら久高島

翌日は、午前中の船で帰らなければならなかったので、悪いと思いながらもまだ寝ていた施設長を起こし、宿泊代を精算して交流館をあとにした。宿泊代は、当然正規料金だけであり、昨夜の釣りツアーはただであった。ちょっと悪い気がしたが。

徳仁港までの短い道のりを久高の家並みを目に焼き付けるようにしてゆっくりと歩いた。今度こそ、最後かもしれないと思うと、とても寂しいものがあるが、来ようと思えば、また来れるところにあるのだから、いつでも来たければ来ればいいさと開き直ってニューくだかに乗り込んだ。

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