久高島訪問記 其の5 (14)

- ウパーマにとみぃを弔う -

2006年2月26日(日) つづき

久高島資料室

食事はとくじんで海ぶどう丼を食べた。ひとりで食べる食事は、味気ないものよのう。早々に交流館に引上げた。

それにしても、なんて、人の少ない時期なのだろう。私以外には、ほとんど人がいないぞ。しまんちゅにも、あまり会わない。そう言う時なのだろう。

シャワーを浴びてから、入口左手奥の資料室をのぞくと、きれいに展示されている。この部屋は、かつては、物置、釣具置場といった感じで、まともに使われているのを見たことがないが、きちんと比嘉氏の白黒の迫力のあるパネルが壁一面に張られ、古い道具などが展示されている。

じっくりと時間をかけて見た。イザイホーの写真が、やはりすごい。島の女性の顔が、とにかく良い。美しい。

このページの最後にまとめて展示写真を掲載しますのでご参照ください。

新しい出会い

入口脇のテーブルで、とみぃの追悼集を読みつつ、差入れて頂いた菊の露をちびちびやっていると、初老の夫妻が近づいてきた。そう言えば、今朝、交流館で食事をしているのを見かけた方々。

旦那さんは、見るからにお酒の好きそうな方だったので、一緒にいかがですかとお誘いしたら、うれしそうに前に腰掛けた。

東京の日野市から来られているM夫妻。那須や五島列島などに、夫妻で回っているという。久高島に、なぜやってきたか、詳しいことはお聞きしなかったが、何らか導かれてやってきたのだろう。

大学生の息子さんがいるという。かつて、長野県に山村留学させていたことがあるという。

今日は、真栄田苗さんに案内して頂いたという。動物や植物に語りかける姿に感銘を受けたという。

久高島には、昔は、高い山があったという言伝え。久高の由来。海辺のコンサートの音が吸込まれるのは、高い山がある時。低いと跳ね返ってくるという。そう言うような話を聞いたという。

その後、坂本さん、久高島山村留学センターのこと。そして、とみぃのことなど。

とみぃについては、ぜひ、彼女に渡して欲しいと水晶をいただいた。これを、彼女の亡くなった、海に沈めて欲しいと。

その他にも、多くを語りあった。静かな夜だった。

その晩、かなりおかしな夢を見た。

タクシーにぶつかったが、何も怪我をしなかった。自分は、駅に行きたいのに、どこかのビルの中で、どうしても駅に着くことができず、ビルの中をさまよい続けるというもの。

それが、何を意味するかは不明だった。          つづく。。。。。

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久高島宿泊交流館の展示

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