久高島訪問記 其の6 (10)その1

- 心で繋がる旅 序章 -

2008年6月15日(日)

【久高に来た理由を探す旅(午前の部)】

棒を祀った場所:スタート地点

翌朝、西銘の三人は、5時前にシャキッと起床。何かに憑かれたように準備をする。私は、たくさん歩くのを予想して、島ぞうりではなくきちんと靴を履く。なのに、飲物やそれを買う財布は持って出ていないことにあとで気付く。しかし、カメラだけはきちんと持っていた。何か変である。

5:15にTS子さんをさわまで迎えに行く。さわの部屋から出てきたTS子さんは、「私、顔が違う。自分の顔ではない。」という。確かに、いつもの雰囲気とは違う、誰か別人の顔のような感じを漂わせている。それだけではなく、IT美さんもどこか、別人のような雰囲気である。(この後、貝塚あたりから、IT美さんの別人化がより鮮明になる)

野郎二人は、いつもと変わらないのか、ただ単に、起き抜けで、頭が働いていないのか、女性陣のそんな会話を聞きつつも、ただぼーっとしているだけである。

久高島自体も、どこか、いつもと違う空気が流れているような気がする。あ・・・この感じは、いちばん最初に久高島に来て、伊敷浜まで日の出を見に行ったときの感覚や。静まりかえったか中にもピキーンと張り詰めたような、夜の世界から、昼の世界に、がらっと全てが切り替わる瞬間の感覚なのか。

四人で薄暗い集落の北の外れの、島創りの棒を祀った場所に向う。

島創り神話

昔、アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が、東方の海の彼方(ニラーハラー)から久高島に来た。とこが、久高島は東の波は西に越え、西の波は東に越え、海水の中にたゆたい、まだ島の形はなかった。そこで、アマミヤが持参のシマグシナーと称する棒を立て、神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらった。そんで久高島ができた

シマグシナーという六尺棒は、この神話を担う始祖家のひとつ、イチャリグヮ家に祀られており、またその棒を立てたという石がイチャリグヮ家後方にあるウッチ家の敷地内にある。

※アマミヤの他にアマミキヨ、シラミキヨの他にシネリキヨ、シラミキヨなどともニラーハラーは、ニライカナイとも言われている。

ちょうど、八光舎前の道の突きあたりから、少し先、左手に、コンクリートブロックで固めたような祠のようなものがある。

TS子さんがその前に立つが、どうも違う感じがすると言う。

周辺を探すと、そこから少し東に行ったところに、もう少し古むした少し小振りの石でできた祠のようなものがある。TS子さんは、こちらだと言う。

ここで、みなで一緒にうがんする。

まだ、周辺は薄暗く、周囲の森には、まだ夜の闇が残っている。しかし、怖いというような感覚は、全くなかった。

うがんを終えると、TS子さんは、「光と水」というキーワードを得たという。光は、太陽の光として、水はなんだろう。

久高島では、今は水道が海底のパイプで本島から供給されているが、それが整備されるまでは、雨水に頼らねばならなかった。島には、川はない。石灰岩の隙間から、湧出る水は、それはそれは貴重だったはず。

その話を思い出すまでもなく、古代に水場であったと思われる場所がみなの脳裏に浮んだ。そう。カベール岬の一本道の途中にある権現御嶽と言われる場所。

ウパーマの入口を過ぎると、カベール岬に向う一本道になる。そこに入って、しばらく行った左手に、森に入る細い道がある。そこには、黒い石灰岩がむき出しになり、奥には今でも水が湧いているという。

きっと、そこに行けば、次の啓示が得られるだろう。誰も、その考えに異を唱える者はなく、そこに向って歩き始めた。

貝塚でキーワードを得る

東の海岸と畠を分けるフクギの森に沿うように、島の東をまっすぐに伸びる土の道がある。この道を東の道と呼ぼう。この森は、いつからあるのか。構造的には、防風林の役割を果している。誰かが人工的に創ったのか、不明である。しかも、ウパーマを境にして、植物群生ががらっと変る。それまでのフクギから、ウパーマの先は、クバとアダンがメインとなる。

東の道を歩く。伊敷浜の前に来たが、今日は、ここに立寄る必要はないと思い、通り過ぎる。

蜘蛛の巣が所々にあり、道を遮っている。うっかりと引っかかるとひどい目に遭う。特に先頭は、注意しなければならない。また、大きな水たまりもある。のんびりと歩けるような状態ではなかった。それでも、何となく、みな、楽しげに歩いた。

何気なく歩きながら、先頭を歩く者が入れ替りながら歩き続けた。基本的には、KHさんか私が先駆け役を担うことになっていた。

しばらく行くと、道の脇に貝塚がある。少し行過ぎたところで、なんか、ここには立寄る必要がある気がした。きっと、TS子さんも、IT美さんも、同じように感じたのだろう。

貝塚の前で、TS子さんは、いきなり、両手の平を地面にぴたりと付けてうがんを始めた。まさか、そんな格好でするとは思っても見なかったのでびっくり。でも、TS子さんは、そうする必要があると感じたのだろう。そのまま一時が経ち、TS子さんがうがんを終えると立ち上がって、「いままで、神様のことばかりに気持ちがいっていたけれど、この島には自然とともに暮らす多くの人たちがいること。その存在こそが原点だと知らされた。」とみなに伝えた。TS子さんは、ここのうがんで、先の「光と水」に加えて「人」というキーワードを受け取った。

また、IT美さんは7人の巫女さんが見えるという。白い着物を着て頭には白ちまきのようなものを巻いているという。このイメージは、何を表すのだろう。

久高の「人」、しかも、遠く遠く、貝塚を利用していた当時、数千年前の「人」を意識すること。とても大切なことを教えられた。

瑞雲を見る

再び、東の道をウパーマに向って歩く。すると、空に、飛行機雲のような筋が見える。

そう言えば、西銘を出るときに、空を見ると、飛行機雲のような筋が2本見えていたのを思い出した。そのときには、こんな時間になぜ飛行機雲が?と言う疑問が湧かなかったのはなぜだろう。

このときには、飛行機雲のような筋が、くっきりと四本、等間隔でならんでいる。
まるで、私たち四人のように。

みなで空を見上げると、ちょうど我々の真上を丸い雲が低い空を四つ、横切っていくところだった。

TS子さんが叫んだ。「あの大きな羽を広げているのは鳳凰・・・左には龍が出ている。。。。みてみて~あの4つの雲みたいなのは、金色の光の玉。四つならんでるよ。」

そう言えば、つい先ほどまでは、空の多くを低い雲が覆っていたはずなのに、いつの間にかその雲が消え去り、青空が全面に広がっていた。

視線を真上の空から、東の道の先に移すと、ちょうど朝の太陽が、上ってきたところだった。しかも、その太陽の光の前を、先ほどの上空の玉と同じような雲が四つ、右から左に移動し、上りたての朝の太陽によって、金色にきらきらと輝いていた。

TS子さんが再び叫んだ。「これは、瑞雲やわ! 私たちは、祝福されているんやなぁ」

普段であれば、こんな言葉は、とても気恥ずかしくて出てくるものではない。が、このときは、きっと誰もが、同じ気持であったに違いない。そんな気持を代表して、TS子さんがしゃべらされていたに違いないのだ。

それにしても、東の道の真正面に太陽が上がってきた。こんな方向から太陽が上がるのやったっけ?この時期は、太陽がいちばん北側に寄って出てくるはずだから、伊敷浜から見ると、正面より左手になるわけだけど、東の道の正面は、カベールの方向。そんなところから太陽が上がってくるのは、ちと不思議な感じがする。これも、今だけの現象なのか。

恐ろしい場所に足を踏み入れる

ウパーマの前を過ぎ、権現(ごんげん)御嶽(?)の入口までやってきた。中に入ろうとすると、誰かいる。誰かが、一心にうがんしている。そのまわりをネコが歩いているのが見える。

私には女性のように見えたが、IT美さんには潔さんに見えたという。(お昼前、八光舎にうかがったときに、新城先生とお会いし、この先客が新城先生だったことが判明。このとき、先生の周りにいたネコが、そのままついて八光舎までやってきたという。)

すぐに入るのは控えるべきとは思った。ただ、先客が去るのを待つべきか、それとも、先にカベールに回るべきか。個人的には、待った方が良いのではないかと思ったのだけど、皆の考えは、後にしようと言うこととなった。

そこで、再び、カベールへの一本道を太陽に向かって歩き始めた。

少し行ったところに、左手にうっすらと、道がついているのをIT美さんが見つけた。

そこを見た瞬間、なぜか、身体が勝手にその道に分け入ってしまった。一瞬、皆を振り返ったが、他の三人は躊躇しているように見えた。

それでも、勝手に足が、どんどんと先に先に、草木をかき分けながら、あっという間に奥まで分け入ってしまったのだ。およそ100メートルも入ったあたりで、ぱっと視界が開け、岸壁の上に出た。そこで、身体がとまった。

ちょっと気持ちいい風が吹いた気がした。海を見下ろしながら、深呼吸をしてみた。ちょっとすると、IT美さんとKHさんが後を追ってきた。ようやくそばまで来たときに、再び、身体が勝手に進み始めた。

今度は、断崖のヘリ沿いに北に進む道があった。それを、あっという間に進み、50メートルほども行くと、地面にぽっかりと穴があいていた。その穴の下には、海の波が砕けているのが見下ろせた。

穴の脇に、ちょうど平らなところがあり、そこに立つと、海を正面に臨める、何となく落ち着く場所だった。

少しすると、KHさんとIT美さんがやってきた。

KHさんも、IT美さんも、ここの入口を入るときに、青い色が見えたという。
IT美さんは、明るい青、水色ともいう。

私には、そのような視覚的はものはなく、ただ、自分の意志とは関係なく、勝手に足が動いてしまうような、そういう感覚で、ここまでやってきた。

TS子さんから電話がかかった。「どこにおるん?今、海の見えるところまで来てん。(心細そうな声)」

すぐに迎えに行くと言って、KHさんが走った。IT美さんと私も後に続いた。

最初に立ち止まったところ、海の見える岸壁の上にTS子さんは立っていた。でも、顔には明らかに不安な表情が浮かんでいる。

そんなTS子さんを穴のところまで、皆で導いた。

TS子さんに、落ち着くと感じた場所を示した。TS子さんはそこに立ち、うがんを始めた。

目をつぶり耳を澄ますと、どこからか「ゴポッ・・ゴポッ・・ゴボ・ゴボゴボゴボ・・・・」という、耳障りな音が聞こえ始めた。「何の音やろ?」と考えていると、濃灰色のどろっとした液体の中から、大きな泡が沸き立っているイメージが浮かんだ。

その瞬間、「こりゃあかん、だめや!」と思い、うがんを始めたTS子さんの左手をつかんで、制止した。

今までに、いろいろなところで、TS子さんと一緒にうがんしてきたけど、まさか、自分が制止させるなんて行動をとること自体が信じられなかったのだが、このときばかりは、すぐに止めなあかんという強烈な恐怖に襲われた。

皆で、固まって、その場からすぐに立ち去った。しかし、道は、断崖絶壁の上。
当然、安全柵などと言うものは無い場所である。十分注意しながら、何とかカベールへの道まで戻った。そこで、ようやくほっと一息付けた。

しかし、強烈な疲労感に襲われた。なんか、体中から、パワーを吸い取られてしまったような、そんな感じだった。しかも、あの穴の中に引きずり込まれるイメージがいつまでも消えず、何とも言えない気持ち悪さが身体にまとわりついてきて仕方なかった。

KHさんが、この道に入るときに「青」が見えたと。太陽を眺めた直後だったので、目の錯覚かもしれないけれど、はっきりと見えたという。IT美さんの見た「水色」とともに、これが、何を意味するのか、この時点では、誰も分からなかった。

道まで戻って、穴のことを思い返すと、遠い太古の時代の死者を葬る場所だったに違いないという思いが浮かんだ。そして、あの穴は、死者を後生(ぐそう)に送り出す穴だと。当然、現世に何らかの未練のあるまま無くなった方もあっただろう。
そういう霊が、あの周辺に今でも混沌霊として漂っているのだろうと思われた。

後に、TS子さんに、なかなか入らなかったわけを聞くと、以下のようなものだった。

TS子さんは、入口で、足がもう進まなくなっていた。なんだか、入りたくない。
みんな早く出てこないかと思って待っていた。少し胸も苦しくなり、青空の下で何度も深呼吸したら楽になってきた。で、みんなが心配になって意を決して入った。

それにしても、自分が、そういうところに引き込まれたこと、抗えなかったことには、少なからずショックを覚えた。TS子さんのように、よからぬ気配を感じる力はどうやれば身につくのだろう。

この先、まだまだいろんな事が起こるであろう。その中で、自分は、果たして役に立てるのだろうか。今回のように、踏み込んではいけないところに、いとも簡単に引きずり込まれるようなことを避けることができるようになるのだろうか。不安いっぱいである。

カベール岬に立つ

カベールの一本道をカベールに向かった。お日様は、ずいぶん高く上り、強烈な真夏の光にあたりは包まれた。隠れるところもない道を、かなりの疲労まみれで四人はカベール岬に着いた。

岬の右手に行くと、砂浜があった。これまで何度も来ているのに、この砂浜には気付かなかったのは、なぜだろう。

波は静かで、しぶきが上がる穴の周辺も、今日は濡れていなかった。

KHさんは、浜の方まで降りていった。私は、カベールの突端の岩の上に立ち、遠く彼方を眺めた。

TS子さんは、岬よりずいぶん手前までしか来なかった。TS子さんは、この岬に立つと悲しくなると言う。そのため、あまり好きな場所ではないらしい。

TS子さんは、「うがんの間隔が開きすぎてきた。間隔を開けるといけない気がする。」と言うと、IT美さんにKHさんと私を呼び戻してと指示し、元来た道をすたすた歩き始めた。なにか、焦りのようなものを感じているようだった。(IT美さんの証言に基づく)

カベールの道は、岬に突き当たる手前が広場のように広がっている。その先にちょっとした丘があり、岬に至る。この丘の上から、南に続くカベールの道を見るのが好きだ。逆に、カベール岬に向かう道を好きという人もいる。だけど、絶対に、岬からみる道の方がいい。単なる個人的な好みに過ぎなのですが、こだわってしまうのであります。

カベールは、始祖があがった場所と伝えられる。ここにたどり着いた、太古の祖先が、陸に上がり、沖縄本島に渡っていったと言われている。そんな時代の人々も、これと同じような光景を目にして歩んでいったのだろうと。

この風景を見ると、東山魁夷の「道」のイメージを思い出してしまうのである。

TS子さんとIT美さんが連れだって遠くを歩くすてきな構図の写真が撮れた。そして、青空には、鳳凰がつばさを広げていた。

その時、歌声を聞いた気がした。斎場御嶽のビデオの中の唄と同じような。風に乗って流れてきたような。そんな優しい歌声だった。

空を見上げたときに時間を確認すると、8時半ぐらいだった。この時点で、歩き始めて、既に3時間以上を経過していたわけである。

TS子さんの踊り場で充電す

権現御嶽まで戻ってきた。先ほどの先客の姿は既に無かった。皆で岩の前でうがんして、さらに奥に進んだ。TS子さんは、まるで、岩の前よりもその奥の方が重要であるかのごとくだった。私は、この先には、行ったことがなかった。一番最後についていった。

すぐに、海を臨む岸壁の上に出た。ちょっとした緑の丘がそこにはあった。四人で腰を下ろせばいっぱいになってしまいそうなぐらいの狭いところだけど、妙に落ち着く空間だった。

TS子さんは、初めてここに立ったときには、踊り出したという。そのぐらい、気持ちの良い空気を感じたのだろう。(よって、ここを『TS子さんの踊り場』と命名しよう)

ここにたどり着いた時点で疲労困憊の四人だったが、この丘に海を見ながら腰掛けていると、大地からパワーが充電されてくるような感覚を持った。

IT美さんが九州名物「ゆずのまんま(乾燥ゆずピール)」と「さんぴん茶」を差し入れ、それを皆で食べ、さらに元気が出た。それにしても、早朝から、飲まず食わずで、たくさん歩くことになるのは、予測していたのに、なぜに、飲み食いものを何も持って出なかったんだろう。今更ながら、今朝、出発するときは、憑かれたような状態で、思考が正常に働いていなかったことを再確認した。そんな皆のなかで、IT美さんただ一人だけが、正常な判断を下せていたことに感謝。

さあて、ここから、次は、どこに行くべきか。TS子さんにしても、わからなかった。

TS子さんが潔さんに電話で今日のこれまでの経緯を簡単に説明し、この先に、どこに行けば聞いた。しかし、「ちょっと休憩して自分たちで浮かんだ場所です」とだけいわれて、具体的な場所は示されなかった。

このとき、なぜだか理由は分からないのだけれども、あの、気になる石積みの御嶽にどうしても行かなければならないような気がした。そして、そこが、この行動の終着である気がした。それを言うと、皆も、それに同意してくれた。

TS子さんが啓示を受けた「8」の意味はなんやろう。石積の御嶽を入れると、今日回ってうがんしたところが四ヶ所、私たち四人で、「4+4=8」かねぇ~~などという話をした。

何気なく、左の方の岩場を見ると、首の長い中型の鳥が見えた。何だろう。真っ白い羽と、アオサギのようなグレーの羽の鳥が岩場にいた。さらに、ツバメのような羽を持つ、ツバメよりも一回り大きな鳥が二羽、海の上を旋回して御嶽の方に飛んでいった。

すぐ眼下の大きな岩には、手のひらぐらい大きなカニが歩いていた。それを眺めていたKHさんが「カニの足の数は~??」一同「8や~」(爆笑!)

TS子さんの踊り場を立ち上がったときは、ここに来たときとは別人と思えるぐらい元気いっぱいになっていた。

石積御嶽で太古の住民に会う

ウパーマの入口から、右の道を進んだ。道は、大きく左にカーブして集落の方向に続く。右手には大きな溜池がある。農業用水用に作られたと、説明板には書いてあった。

この道は、久高島の幹線道路。コンクリートが敷かれた島の中央を貫く道である。

真夏の太陽の下を、かなりの距離をひたすら歩いた。ただ、辛いという感覚は、不思議と誰も持たなかった。

左手に、ようやく牧場が見えてきた。ここまで来れば、集落も近い。牧場のすぐ向こうが交流館だ。

石積みの御嶽まで、もう少しだ。ただ、入口には、何の目印もない。果たして、たどり着けるだろうか。不安がよぎった。

しかし、IT美さんは、絶対大丈夫と確約してくれた。きっと、すんなりとたどり着けるのだろう。

前回探し当てたとき、地図に、正確な位置をメモした。しかし、今回は、その地図さえ持ってくるのを忘れている。きっと、試されているのだろうなどとつらつらと思いながら歩く。

右に分かれる道の入口に「ハタス」と書かれたおさかなの看板が立っている。ハタスとは、伊敷浜に流れ着いた五穀の壺を埋めたところと言い伝えられているところ。

そういえば、ハタスとなかの御嶽には、今まで、足を踏み入れたことがない。なぜだか分からないが、きっと、入る必要がなかったのか、まだ足を踏み入れるには早かったのか、そんな理由なのだろう。

牧場を過ぎると、左からの道と合流する場所がある。そこに、アダンの実が地面にたくさん置いてあった。これは何のためのものか。浜の近くで、アダンの実をヤドカリが食べているのを見た。ヤドカリの餌場なのだろうか?

合流した道は、すぐ先で集落に向かって延びる道と、右にカーブし西海岸に至る道に分かれる。確か、この近くに目的地はあったはず。

道の辻に皆を残して、石積の御嶽を探しに出る。KHさんが付いてきてくれる。

左の道を進み、少し先のあぜ道のような草の道を左に入ってみた。少し入ると、右手に掘っ立て小屋のようなものがある。これは、前回探しているときにも見たことがあるところ。「近い!」と確信する。

道まで戻り、そのすぐ先のあぜ道のようなところに入る。きっとこの先だ。

50メートルほど入ると、右手に広場のように広がった場所があり、その奥に、石積の御嶽が現れた。

すぐにとって返して、辻で待っているTS子さんとIT美さんを呼んだ。遠くから呼んだのだが、声が届かなかった。もう一度大きな声で呼ぶと、ようやく気付いた。
両腕で○サインを出すと、二人はこちらに向かって歩き始めた。

四人で石積の御嶽に入った。だけど、前回まで感じた、落ち着くような温いような雰囲気が失われて、何か、朽ちているようなイメージに変わってしまっているのが、すごく気になった。おそらく、初めて来てこの感じだったら、それほど固執して探したりはしないのではないかという気さえした。

石積の前まで行くと、ハチがたくさん飛んでいた。住民が頻繁に入って、きれいに整備しているというような場所には思えなかった。他の御嶽には必ず置いてある石の香炉も、ここにはなく、香炉のようなものの上に、プラスチックのプランターのようなものが乗せてあるだけだった。

IT美さんが、「たくさんの人が見える」と言った。「貝塚で見たような、巫女さんの格好ではなく、普段着の着物を着た人々がたくさん見える」と言う。さらに、IT美さんの母上の顔が石積の左手に浮かんだという。

TS子さんは、「自分のルーツがここにある気がする」という。TS子さんの母上のイメージが重なったという。

TS子さんとIT美さんは、この場所は、普通の暮らしのイメージが重なると言い、古い住居跡ではないかという。

残念ながら、私には、彼女たちが感じたものと同じようなものは感じられなかった。

(昼食に入ったけいのおとうにこの場所のことを聞くと、ここは、久高島での神職者のお墓だという。なぜか、「ハチがいるところ」という表現を使った。ここが妙に耳に引っかかった。まさか、「8」=「ハチ」ではあるまいに。。。)

お務め評価は?

石積御嶽を出て、集落に向かって歩きながら、TS子さんが潔さんに電話で報告した。すると、潔さんから「これらのお務めは、良い、もしくはたいへん良い」との評価であることが知らされた。

喜ぶと言うよりは、どこか、ほっとしたというのが正直なところ。

思い返せば、午前中のお務めでは、私が、皆を引きづり回したと言ってもいいようなものだ。貝塚に寄るし、穴には吸い寄せられるし、石積御嶽に皆を引っ張っていったし。それで、良かったと言っていただけたときは、心底ほっとしたのであります。

ただ、どうしても、達成感が得られない。しかも、集落に近づくほどに、ますますやり残し感が強くなるのはどういう訳なのだろう。

潔さんからは「午後は、行きたいところに行けば良い」というメッセージも伝えられた。と言うことは、午後もどこかに行く必要があると言うことで。。。。。

長い一日は、まだまだ終わりそうもない。

謎解き

TS子さんが啓示を受けた「8」という数字の意味は何だったか。

今日、回った(うがんした)ところは、以下のとおり。

  1. 棒を立てたところ
  2. 貝塚
  3. 権現御嶽
  4. 石積御嶽

四ヶ所だ。

そして、回ったのは、私たち四人。

四 + 四 = 八 ??

集落に戻って、すぐにあった売店で、お茶(TS子さん)、CCレモン(IT美さん)、オリオン(KHさん)、カルピスウォータ(創結マスター)を飲みながら、謎解きをした。

だけど、もう一つ、しっくり来ないと思ったのは、私だけではあるまい。

八光舎で新城先生と会う

とりあえず、今回のお務めは、これで終了と考え、その報告を潔さんにするために八光舎に行った。

すると、そこには、新城先生が、子ネコを2匹連れた親ネコとともにいた。潔さんは、どこかに出かけてしまっているという。ネコさん達は、権現御嶽から、先生の後を付いてきてしまったという。それにしても、何と人なつこいネコだろう。そんなネコが、何で、集落から遠く離れた権現御嶽にいたのだろう。不思議がいっぱいである。

TS子さんは、再び潔さんに電話をするが、祈りの途中なのか、電話には出られないようだ。そうこうしていると、新城先生は、ふんわりとした空気を残して、八光舎を後にした。

私たちは、みな、思い思いの場所を陣取り、疲れを癒した。

母ネコは、板の間に上がって横になると、すぐに子ネコが2匹乳を飲みにやってきた。

TS子さんは、上がり口正面を指して、「ここに座って拝んだ方がいいよ!」とIT美さんに。IT美さんは、そこで正座してうがんを始めた。TS子さんは、そのすぐ後ろに膝を付いて立ち、うがんするIT美さんの頭と背中にパワーを送りこんだ。

そこは、この日の晩に卓さん達が来てミルク神の話をした時、潔さんが「ミルクは弥勒ですよ」とこたえた。IT美さんが、もしかして・・・ってきくと、潔さんは、この像を指さして「これも弥勒です」っておっしゃったところ。

(IT美さんは、九州のとあるヒーラーさんに「IT美さんが拝むのは弥勒菩薩だ」と言われたことがある)

すると、板の間の上で、横になり、子猫に乳を与えていた母ネコが、おもむろに立ち上がり、膝を付いたTS子さんのふくらはぎの上に乗り、そこで寝転んだ。
しかも、ひっくり返って反り返るものだから、頭が板の間にぶつかる「コン!」と言う音をさせるぐらいで。子猫たちもそれにひっついて、不安定なTS子さんの足の上によじ登り、母ネコの乳にぶら下がった。きっと、TS子さんから発せられるパワーがねこちゃん達にも、気持よかったに違いない。

KHさんは、前日、私が陣取ってしまって入れなかったという、奥の小部屋に。
私は、上がり口に腰を下ろして放心していた。

しばらくしても、潔さんは戻らず。夕方、卓さん一行が来られたときに、同行させていただければ潔さんとも話ができると思い、この場は出直す事とした。みなで立ち上がり、八光舎を出ようとしたときに、新城先生が帰ってみえた。

お腹をすかせている母ネコのために、おさかなを買ってきたという。表でネコに餌をやると、潔さんにしかられるというので、左手奥で、ネコさん達におさかなをやることに。

そこまで移動する途中、新城先生は、誤って、足元にまとわりついていた親ネコの前足を、木のぞうりで踏んでしまった。ネコは「痛いよ~」と鳴き声を上げたのだけれども、先生が、なかなか気付かず、ちょっとかわいそうやった。1匹の子ネコは、母ネコと一緒に魚に釣られて奥に行ったが、もう1匹の子ネコは、板の間の上で、一人遊びをしており、魚には、興味を示さなかった。

新城先生は、そんな子ネコ相手にきれいな英語で話しかけていたのが印象的だった。琉球大学の非常勤の先生。英語を教えているという。

帰り際、TS子さんが、夕べ、沖縄の塩のお代を2つ分入れたのに、ひとつしか塩を持って帰らなかったと言うことで、もう一つを頂いたのでした。神様、勝手に持って行ったんじゃないことは、分かってますよね~~(^_^ゞ

飲む食べる飲んで休む

それにしても、朝から、何も食べずに、よくもまあ、歩き回ったものである。これで、体重がきゅっと絞られていればいうこと無いのだろうが、きっとその分余計にオリオンと島酒を補給しちゃうため、相殺されて変わらないのだろう。

遅いブランチを食べにけいに入った。

夕べ、潔さんに、神さまもお酒は大好きだと教えていただいていたので、今日は躊躇せずに、みんなしてオリオン生ジョッキで乾杯!!

TS子さん、IT美さん、わたしが海ぶどう丼セット、KHさんがチャーハンを注文した。

ビールが、五臓六腑にしみわたるとは、まさにこのことをいうと思えるほど、内臓の隅々にまでしみ込むのを感じることができた。

結局、それだけでは物足りなく、続けてとくじんに入り、もずく天ぷらをつまみにビールをさらに飲み続けたのであ~る。

この後どうするか。やり残した感を持ったまま、放っておく訳にもいかないだろう。ただ、早朝から歩きづめで、相当に疲労もたまっている。しばらく休息をとって、午後三時ぐらいから、その後のことを考えようということで解散となった。

西銘に戻ると、昨晩の食器類が、みなきれいに片付けられていた。申し訳ないことをしてしまった。IT美さんがはなおばぁに出かけていた訳を話したが、きっと、ぜんぶお見通しという感じだったという。

琉球大学の新城先生のこと、裁判官(?)のこと、など。はなおばぁは何でも知っている。不思議な力を持っているのだろうか。

そんなことを考えながら、あっという間に夢のなかに引き込まれてしまった。

IT美さんがはなおばぁとの話を終えて部屋に戻ると、そこには、気持ちよさそうに、いびきをかいて転がる野郎が二人。涼やかな風が、北から南に部屋を吹き抜けていった。

そのころ、さわさんに戻ったTS子さんは、掃除をし、片付けをし、なかなか休むことができなかったに違いない。

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