久高島訪問記 其の6 (12)最終回

- 心で繋がる旅 序章 -

2008年6月16日(月)

工房アマム

今回の沖縄では、ちょっと良いシーサーが欲しいと思っていた。2001年当時、素焼きのシーサーは入手し、横浜の自宅玄関に鎮座しているのである。だけど、ちょっと物足りない。できれば、もっと自分の想いの込められた、しっくり来るのが欲しいと思っていた。

そんなタイミングでIT美さんに紹介されたのが、工房アマム。IT美さんが、それはそれは熱心に勧めるには、何か感じるところがあったのだろうと、今になれば理解できる。

アマムは、最近、那覇の街中でもずいぶん目にするようになってきた漆喰ベースのシーサを専門とする工房。安座真港のすぐ上の丘の上、斎場御嶽に入る道の途中にある一軒家のすてきな空間。

建物に、一歩足を入れた瞬間に、心は注文する事に決まってしまった。那覇の街中では、あれだけ見て回り、いくつか、気に入ったものはあったのだけど「これを買う!」という、最後の決断ができなかった。なのに、ここでは、その姿形がない段階にも関わらず「ここで作ってもらう!」と決めてしまった理由は何?

ひとつには、工房の主であるゆきさん。工房に入って、ちょっと話した瞬間、他人ではない気がした。すごく近しいものを感じた。なぜだろう。大阪に戻ってから、お礼のメールを出し、それに対する返事を見てびっくり。ゆきさんも、同じように感じていたことが判明。

創結マスター→ゆきさん:久高島と奈良、それも飛鳥あたりに惹かれるところは、私もまったく一緒なんです。一目お会いしたときから、なんらかの関係を感じます。(変な意味じゃなくてね)

ゆきさん→創結マスター:創結マスターさんは私も何か近いものを感じ、同じ星の生まれというか(ちょっと異星人っぽい)、目が同じ、親戚とか家族みたいな感じしました。創結マスターさんも飛鳥ですか。飛鳥の巨石やお寺めぐりはいいですよね~。内地で住みたいと言えば飛鳥か私は宮崎も好きで、創結マスターさんはどうですか?

きっと、IT美さんも、こう言うところを感じて、あれだけ熱心に紹介してくれていたのだろう。ゆきさんとは、会うべくして会ったという気さえする。

そうこうしていると、那覇まで車で送ってくれるというKHさんの仕事仲間、北嶋氏登場。

ヨガに行くために、あまり時間がないというゆきさんに対して、ベランダを片付けさせ、テーブル席を作らせ、そこにどっかと腰を下ろして、くつろいでいたのは誰や~。さらに、シークワーサーかき氷をIT美さん、北島さん、私が頼む。朝から氷はお腹こわすと、KHさんは薬草茶を注文。お茶には、ゆきさんが焼いた全粒粉パンを付けてくれるというと、他の三人まで図々しく私たちも食べたい~~と便乗した。何とも、遠慮と言うことを知らないご一行であった。ゆきさん、ごめんなさい。。。。

ベランダで、妙にくつろぐご一行。傍らでは、ゆきさんに久高島でのことを話すIT美さん。さらに、ゆきさんが、ヤンバルからこの場所に移転して落ち着くまでの経緯まで話して頂きました。

初対面なのに、この連帯感は何???

ゆきさんは、この先、きっと私たち四人に加わって、何らかの役目を担うに違いない、さらに、遠からず再会することになることを確信した。

結局、11時過ぎまでゆきさんを引き留めてしまったけれども、少し遅れてヨガに出かけるゆきさんをみんなで見送ってから、KJさんの車でアマムを出発したのでありました。

こうして、注文したシーサーは、およそ1ヶ月ほど後に横浜の自宅に届く予定。
ゆきさんが、イメージを込めて作ってくれるのは、どんなシーサーでしょう。今からわくわくであります。

奥武(おう)島と「青」のわけ

KJさんが、車で、那覇まで送ってくださるという好意に甘えてお願いした。わざわざ半日お休みをとって来てくださった。感謝!

さらに、気を利かせて、景色の良い南部経由で送って頂いた。途中、奥武島においしい天ぷらやさんがあると言うことで、奥武島に向かいました。

KJさんが、奥武島の歴史をちょっと紹介してくれた。奥武島は、昔は「あおしま」と言われていた。「あお」は、死を表す色なので・・・・・・

三人「えっ!!!」

三人とも、前日の穴の岬のことを思い出した。その、入口に入るときに、KHさん、IT美さんが青い色を見たと言うこと。さぶいぼが立った。

昔、奥武島は死者を葬る場所だったため、死者の島という意味で「あおしま」と名付けられたという。それが、長い年月のうちに「おうしま」に変化したという。

「青」の地名については以下に筆者の私案も含めて記述がある。(本章末尾にこのサイトの文章を引用)

車は、高台を走る眺めの良いR331から奥武島に向かう細い脇道に入り坂を下った。ちょっと太い道に出て、左に向かうと奥武島方面。

そのあたりから、ちょっとした頭の締め付け感が始まりました。おや~~と思っていると、どんどん強くなる。

島に繋がる橋を渡ると、強烈な不快感が。IT美さんを見ると、同じように顔をゆがめている。天ぷら屋さんの前で、車を降りて、KJさんとKHさんが天ぷらを買ってくれる。が、IT美さんと私は、気分が悪く、申し訳ないけど、KJさんにお願いして、早々に引き上げてもらった。

島から離れても、不快感はなかなか消えなかった。IT美さんは、久高島に渡って以来、ずっとパワーを体中から放出しているような状態で、そばにいると熱を感じるぐらいだった。

IT美さんは、国場あたりまで戻ると、ずいぶん気分は楽になったと言う。が、私は、今度は、かつて旧海軍司令部壕で感じたような圧迫感を感じていた。考えれば、ちょうどその近くを通っていたわけだから当然かもしれないが。

それでも、奥武島で買ってもらったイカ天と白身魚天を食べて、ちょっと元気になった。

KJさんには、気を使ってくれたのに、さらに追い打ちをかけて気を使わせてしまうことになり、申し訳ないことをしてしまった。ごめんなさいね。

目からウロコの地名由来」サイトからの引用

「青」の地名

『人間(じんかん・にんげん)至るところ青山(せいざん)あり』の「青山」とは「骨を埋めるところ・死に場所」という意味だ。つまり、「人間にはどこでも生きてゆける場所があり、生まれ故郷ばかりが生活の場ではない。人はどこにでも死に場所はあり、広く世に出て活躍すべきである」という金言なのだ。このように「青」はブルーの色を表すほかに、死者の埋葬地にも付けられる地名でもある。大阪府藤井寺市青山は「古市古墳群」のど真ん中にある集落で、まさに死者の埋葬地の「青」地名である。ちなみに、東京都港区にある「青山霊園」の「青山」とは、美濃国郡上藩主の青山家の下屋敷に由来するもので、霊園はその屋敷跡に造営されたものだ。
偶然ではあるが、「青山」はまさに墓地にふさわしい地名であった。谷川健一は沖縄にある「奥武(おう)」に注目し、「奥武」は「青(あお・おう)」であり、死者の埋葬地に由来する地名であるとした。沖縄県には奥武島が南城市、久米島、座間味村、名護市にあり、那覇市の奥武山公園、北中城村の奥武岬等がある。本土には「奥武」は無いが、「あお」地名の「青」「粟生」「阿保」「阿尾」等がある。
果たしてこれらは埋葬地と関係があるのだろうか。ところで「青」の地名が日本海側に集中していることは早くから注目されてきた。谷川氏は、「青」地名は埋葬場所との関連とともに、古代海人族の居住地でもあることを示唆し、日本海側に集中しているのは、彼らが対馬海流に乗って移動した結果だという。西から目をこらして拾ってみた。朝鮮海峡に臨む長崎県対馬市青海、壱岐市の青島、松浦市の青島、山口県下関市粟野、長門市青海島の青海、萩市青長谷、萩市青海、島根県浜田市青浦、浜田市の青川、江津市青山、江津市青波、出雲市青野、松江市の青島と青木島、米子市粟島と粟島神社、隠岐の島町の青島崎、海士町青谷、鳥取県琴浦町粟子、鳥取市青谷、鳥取市の青島、京都府伊根町の青島、舞鶴市青井等は死者を葬った場所と関係があると思う。さらに東へ行くと、福井県高浜町には青葉山、青戸入り江があり、青という集落もある。そこには「JR青郷(あおのごう)駅」があり、いずれも海人と死者に関わる地名だとされる。福井県小浜湾に浮かぶ蒼島はかつて青島と表記していた。若狭湾に突き出た小浜市の大島半島ももしかして青島(おうしま)
だったかもしれない。まさか「あおはま」が「小浜(おばま)市」、「あおい」が「おおい町」に転訛したとは・・・思えないこともない。小浜市には青井という地名もある。さらに東へ、石川県金沢市粟崎、羽咋市粟生(あお)、富山県魚津市青島、入善町青木と青島、新潟県糸魚川市青海、柏崎市青海川、新潟市青山とつづく。
「大」が「青」である良い例として、新潟県糸魚川市青海の大沢地区には、「青澤(おうさわ)神社」がある。また、奈良県の「大和青垣国定公園」の「青垣」は、古くは奈良盆地を大きく囲うようにしてある山々を総じて称したもので、やはり大垣の意味合いをもっていたと思う。「青」は「粟」にも変化している。石川県金沢市粟崎はもと青崎といい、砂丘堤にある羽咋市粟生ももと青と表記した。能美市粟生町や富山県氷見市阿尾は果たして埋葬地と関係があるのだろうか。日本海岸以外の「アオ」地名を追ってみる。兵庫県小野市粟生は、加古川と万願寺川の合流点にあり、「合う」を意味する「アオ」ではないのか。同じように、菊池寛の小説「恩讐の彼方」の舞台となった「青の洞門」は、大分県中津市本耶馬溪町の「青」という地区にあるがゆえにその名がついた。「青」は山国川と跡田川の合流点にあり、やはり川が会う場所に付けられた地名だと思う。徳島県吉野川市粟島は吉野川の中洲にあり、かつては埋葬地であったという。熊本県人吉市中青井、香川県詫間町粟島、新潟県粟島の由来は良く分からない。近鉄大阪線の長い「青山トンネル」で有名な三重県伊賀市青山町は、旧阿保(あお)村他3か町合併時の瑞祥地名というが、町名を青山に決定する際には、その中心的集落の「阿保」を意識したと思われる。
この「阿保」は「アワ」に通ずるものであり、大阪府松原市阿保と同じように低湿地の意味だと思う。宮崎県の名勝「青島」は青島神社の神域だが、和歌山県日高町阿尾と同じく、水葬の地と関係があるかもしれない。岐阜県大垣市の西部に「青墓町」と「青野町」がある。付近には古墳があるが、大墓、大野が訛ったものと思う。
東京都葛飾区青戸は駅名を「青砥駅」と表記するが、地域の人は「おおと」と発音し「大戸・大渡」として中川の渡し場だったことが分かる。江東区の青海(あおみ)
や目黒区の青葉台は、長崎市青山や千葉県千葉市青葉町、宮城県仙台市青葉山のように、周囲の景観からして明らかに瑞祥地名だ。伊豆諸島の青ヶ島は青い海そのものだろうし、富士山麓の青木ヶ原は全国にある「青木」地名のように針葉樹の意味だ。

那覇歴史博物館

那覇空港に着くころには、ずいぶん気分は回復していた。

KJさんの車から、出発ロビー前で三人を降ろしてもらい、各自、手荷物をチェックイン。KHさんは、再びKJさんの車で琉球大に。IT美さんと私は、ゆいレールで国際通りにと分かれたのでありました。

ゆいレールは県庁前駅で降りた。パレット久茂地のすぐ前。

県庁前のパレットくもじの4階に、那覇歴史博物館があるという。私が通っていた当時は、そんなしゃれたものは無かったはず。2006年7月にオープンしたという。

ほんの数年の間に、あっちもこっちも、見えるところも見えないところも、いろいろの変遷を遂げていることを実感。

■特別展示室尚家関係資料の文書より、異国から見た琉球に関する資料を紹介。また、尚王家伝世の紅型や陶器などを展示。

■常設展「王朝文化と都市(まち)の歴史」現・那覇市域の近世の歴史と文化について、文書や美術工芸品をとおして紹介

■企画展「女性・子どもたちの『沖縄戦』」展

戦争物は、今入ると気分悪くなりそうなので、入口からちょっと覗いただけでパス。

特別展と常設展を見た。IT美さんは、漆塗りの器などをとてもうれしそうに見て回る。私は、このぐらいの時代(数百年前)の人工物には、ほとんど惹かれないのは、なぜだろう。でも、工芸品としてみると、技術者の血が騒ぐところはある。

私のルーツは、縄文人?

IT美さんは、琉球漆器が好きという。特に、龍の描かれた赤い大きな漆器には、たまに逢いたくなると言う。見ると、五本指の龍が描かれている。五本指の龍は、龍のなかでも最高位の龍とされ、そのパワーも格段と違うために、その昔は、中国皇帝のみが使用することができるとされていたという。それが、ここには展示されている。琉球王家でさえ四本指しか使用できなかった。ましては、庶民は三本指である。

その中で、唯一、気を惹かれたのが、女性が想いを織り込んだという紅型(びんがた)。手をかざすと、想いが伝わる感覚があった。

IT美さんは、「青」と「人の死」の関係について、かなり引っかかるところがあったようだ。博物館の受付の女性に、奥武島の由来について、何らかの資料がないか訪ねた。こう言うところは、さすが、専門家さんだ。博物館と名乗る以上、そこそこの資料が存在するはずと当たりを付けてのことと思われる。受付嬢では、当然分からず、奥から職員の女性が出てきた。

奥武島、「青」と人の死について、訪ねたところ、彼女は聞いたことがないという。そこで、資料を調べてみると言うことで、一度裏に下がった。

IT美さんの中では、「青」というよりは、もう少し明るい「水色」が人の死と結びつくのではないかと思っている。それは、久高島の穴の場所で見た「明るい青」のイメージなのだろう。

しばらく待つと、先ほどの女性が、一冊の本を手にして戻ってきた。那覇の旧家(かなり位は高い)に残されていた着物等の資料という。その中に、葬儀の際に利用される濃い青の風呂敷があった。こう言うところから、青と人の死に結びつくとも考えられるが、婚礼の際の華やかな紅型に比べて、葬儀の場合は単色に地味なものという対比でたまたま青が選ばれたとも考えられ、あまりしっくりと落ちない。

さらに、紅型の色づかいは、厳しく制限されており、位によって、利用して良い色まで決められていたという。位が高くなるほどに、多色を利用しても良かったと言うことである。ついでに、紅型の歴史の勉強までしてしまった。

そんな中で、一枚の水色柄の着物に目が留まった。聞くと、葬儀の際に着られたものだという。これが、IT美さんの中のイメージに、しっくりとはまったようだ。

長いこと、わけの分からない質問に対して、丁寧に対応してくれた博物館の職員の方に丁寧に礼を述べて、その場を後にした。

国際通りに入ってまもなく、琉球漆器のお店があった。自分ひとりでは、先ず入らないかと思うが、IT美さんと一緒に入った。漆の容器に貝殻で絵が描かれている。
夜光貝を利用するのが高級なのだけど、最近はアワビを使っているものもあるという。けれど、時間が経つとアワビでは色がくすむという。IT美さん、詳しい。。。。
尊敬!

食べ物系お土産ゲット

家族や身近な方々への食べ物以外のお土産は、13日に既に調達済みだったので、職場や、近所に配る食べ物のお土産を、残りの時間でゲット。

パレットの地下食品売り場にGo!ここは、沖縄で仕事をしていた当時も、よくお土産の食材を調達したところ。化学調味料がいっさい使っていないというIT美さん絶賛のダシをゲット。できれば、ゆし豆腐や生沖縄そばとかも買いたいところだけど、荷物の量を考えると、ぐっと我慢しなければならない。

片隅の物産展のようなところで、島らっきょうスナック!にIT美さんお勧め黒砂糖もゲット。

あらに、久茂地から国際通りに入ってすぐにある新垣ちんすこう本舗に。

それにしても、お土産買うなら女性にアテンドしてもらうのが絶対的に便利。女性のあのお土産に対する嗅覚は、とても男にはまねができない。感心しきりである。

ちんすこう、最近のマイヒットは、塩ちんすこう。せやけど、残念ながら、ここには置いていなかった。そのかわりに目をひいたのが、ちいるんこう。黄色いふわふわのロールケーキのような感じの半生菓子。試食したら、見た目よりも中身がつまっている感じ。

さっそく二本購入・・・・・あ・・・・・重い。

空港で荷物を預けてしまったのが悪かった。あまりにも身軽で、後先考えずに重たいお土産を。しかも、その後には、さかえの強烈な超ヘビー級お土産が控えているであろう事を考えれば、ここで、重たい生菓子なんて、買う選択はなかったはず。

しかし、既に買ってしまった。あとは、野となれ山となれ。。。。。。

KHさんかりゆしウェアを選ぶ

国際通りを歩いていると、また気分が悪くなってきた。IT美さんも調子が悪いという。どうも、この日は、IT美さんとみごとに共鳴してしまっているようだ。

まもなく、牧志駅から歩いてきたKHさんと落ち合った。かりゆしウェア専門店が、確かこのあたりのはず・・・・と見回すと、まさに通りの反対側に発見!

国際通りを横切り、お店に入ると、エアコンの効いている店内は天国~~

KHさんは、来週も沖縄で仕事。その時のオフィシャル上着として着られるものを選びたいという。

見立てはIT美さん。KHさんに似合いそうな色と柄を次から次に選び出す。さすがである。KHさん、意外と渋い赤系統の色が似合うこと判明。

その中で、龍の柄が縦に入っているのが結構グッド!

し、し、しか~~~し!!

サイズがMとLLしかないという。来週までに準備できるか工場にまで問い合わせしてもらうと、どこかのホテルが、従業員の生服用に大量に仕入れてしまったため、生地もないという。オ~マイガ~~!

Mは、さすがにパツンパツンで無理。LLは、ちょっとゆったりだけど、もしかしたら、このぐらいゆったり着た方が涼しくて良いかもしれない。

結局、LLをゲット!

実は、私も、ミンサー織りの柄の渋めのが欲しかったのだ。でも、予算が底をついてしまっていた。今回も、また、ちょっといいかりゆしウェアは手に入らなかった。(;_;)

那覇市場通り商六でぜんざいを食す

久高に渡る前に食べたかったのだけど、時間がうまく合わずに食べることがかなわなかった商六のぜんざいを食べに。考えたら、朝から満足に食事もとっておらず、お腹はぺこぺこ。目の前にあった、おにぎりをひとつ即座に頂いたことは言うまでもない。

沖縄では、ぜんざいというと、内地(九州以東の日本の総称)のこおりあずきに近いものを言う。内地では、寒い季節にほくほくのこってりあずきにお焦げの付いたおもちが二つ入っていて御抹茶で頂くのがスタンダード。

しかし、冬でも13度を先ずは下回らない沖縄では、そんな熱々のほっこりぜんざいは不要。ぜんざいを沖縄風にアレンジしたのが、沖縄ぜんざい。黒糖などで煮た金時豆と煮汁を冷やして器に盛り、数個の白玉とふわふわのカキ氷を乗せたものである。ふわふわのかき氷の下に隠れる白玉の柔らかさの何と絶妙なことか。

これを一度でも食べてしまうと、夏にはぜんざいを食べなければ始まらない。
沖縄に来たら、先ずは沖縄そば(うちなーすば)。次にぜんざいである。

私がいちばんのお気に入りぜんざいは、那覇市久米、波之上宮近く、久米(南)交差点交番となりの「千日」。でも、国際通りからは、ちょっと離れていて、なかなか行くことができない。

今回は、特に時間もなかったので、市場通りの奥「商六」のおぜんざいを選択。
ボリュームは少なめなので、思いきり食べたいという場合は物足りないかも。そう言うときは、迷わず「千日」にどうぞ。たぶん、満足頂けるはず。

商六の椅子に腰掛けた時点で、気分はかなり最低。私よりも、IT美さんがまいっちゃっていた。そこで、何度かTS子さんにやってもらったことのあるパワーの送り込みをしようと思い、手を八の字に繋いで気持ちを入れ始めたところ、なんと、私の中にある邪気と、IT美さんの中にある邪気がぐるぐると回り始めた。こりゃいかん・・・・すぐに中止したけど、お互い、よけいに気分が悪くなってしまった。

IT美さんは、その後、KHさんに手を握ってもらって、ずいぶんと楽になったという。私は・・・・・昼日中に、商六のおばさんの前で、男同士、手を握りあっては、あまりにも変な人たち・・・と、はばかられてできず。

KHさんは、帰りの飛行機が16時という。私が17時。IT美さんが19時。みごとに皆ばらばら。

いちばん早いKHさんが、この時点でタイムアップ。IT美さんと私を商六に残したまま、帰路につく。気をつけて~~と市場通りで見送った。

そろそろTS子さんと合流する時間。TS子さんのケータイに連絡を入れると、牧志駅に着くところだという。結局、ご一行さまもみんな一緒だという。

商六で14時頃に落ち合うつもりだったのだが、既に15時だ。さかえに寄って、荷物もひきとらなければならないことを考えると、商六はそろそろ離れないと危ない。

TS子さんと、落ち合えないまま、何とか国際通りで出会うことを期待して、IT美さんと移動を始めた。

しかし、甘かった。TS子さんご一行は、国際通りではなく、昭和通りに入ってしまっていた。

ケータイで連絡を取りながら、何とか合流に成功。

そのまま、さかえに急ぐ。午後の日差しでむっとする国際通りを汗をたらたらと流しながら牧志方向に急いだ。

さかえにて沖縄に別れをつげる

私の飛行機は17:00発。今は、ケータイからWebチェックインができるので、搭乗口に10分前までに行けば大丈夫。とは言っても、手荷物検査場で名前を呼ばれて、荷物を持ってもらって一緒に搭乗口まで走るとか、機内に入ったとたん、刺すような視線を浴びるとか、果ては乗り遅れるとかいうのは、さすがに避けたかったので、16:16のゆいレールに牧志駅から乗らなければならない。

牧志交番の角を曲がると、国際通りの喧噪からいきなり昭和の時代にトリップすることができる。ここが、竜宮通り。通い慣れたさかえの低いとびらを頭をかがめてくぐると、そこはもう自宅の安らぎ。着いたのが、15時40分ぐらい。

さつえさん(私の沖縄の母)は、まだお店には出ておらず、なおみさん(私の沖縄の姉)が、変わらぬ笑顔でむかえてくれた。

そんな昼日中から・・・・と思いつつも、ふーちば酒を頂く。ほてった身体の隅々にまで染みわたる快感。。。。だから、やめられないんよね。。。。

さつえさん、なおみさんからは、横浜の自宅向け及び大阪向けの貝殻風鈴(これがまた涼しげで良い音がする)、子ども達それぞれへのお土産など。そして、作りたての熱々のあんだんすー。なんと言っても、私がさかえさんに通うようになったのは、このあんだんすーのため。この味を一度食べたら、忘れられない。そして、他では絶対に味わえない。タッパいっぱいに詰めていただき、袋に入れて、お土産バッグ準備完了。

などと、ゆっくりしている時間もなく、TS子さんから、取り急ぎ、前日の卓さんご一行のお務めの概要を聞く。さらに、重要なことが。

奥武島のことを簡単に説明し、久高から、奥武島まで、ありとあらゆる邪気を体中にため込んだ状態になっている。とりあえず、この状態を何とかしないと、飛行機に乗り込むのも不安がある。

そこで、IT美さんに時間を見てもらいつつ、TS子さんに邪気を逃がすおまじないをしてもらう。まだ、完了していない時点で、16:10になりタイムアップの合図が。
それでも、もう少し。。。。何とか完了して、これで大丈夫と言ってもらう声を聞きながら、立ち上がり、さつえさん、なおみさんの愛のお土産の荷物をつかみ、別れの言葉もていねいに述べる間もなく、TS子さんとIT美さんをさかえに残し、牧志駅に走ったのでありました。

那覇空港~神戸空港

灼熱の国際通りを重い荷物を引きずって走った甲斐があり、予定通り、16:16発のゆいレールに乗ることができた。

那覇空港には無事に到着し、アナウンスで名前を呼び出されることもなく、搭乗ゲートまではするっと到着。帰りの機体はどんなかな~

いつも、必ず搭乗する前には確認する癖が付いている。命を預ける機体ですから、その姿を確認して、無事に離陸し、着陸してくださいますようにとの祈りを込めて。

と・・・・・なんや、到着したばっかりやんけ。見ると、搭乗口からは、たった今到着した客がぞろぞろと降りてくる。機体遅延やんか~

案内を見ると『遅延 25分』と表示されている。

え~~い。こんな事なら、もう30分、さかえさんでゆっくりできたやんけ。あ~残念。

ま、それでも、搭乗前に自宅やら、あちこち、必要なところにメールを送る余裕があったのは、それをする必要があったために時間が準備されたのだろうと思うことにする。

以前だったら、悪態の一つもついていそうなところであるが、なぜか、こう言うところが、妙に素直に受け入れられるようになっている自分に気付く。

帰りのフライトは、そこそこ混んではいたけれど、空席もちらほら。さすがに、夏休み前の閑散期。沖縄は、やっぱり閑散期に限ると思ったのでありました。

疲れがどっと出て、シートベルトサインが消える頃には夢の中。はっと目が覚めると、外にはきれいな夕焼けが。そして、眼下には四国の雄大な川の流れが。まもなく、神戸空港に着陸となりました。

往路便で、JALの機内誌を読んでいると、そこには、沖縄の居宅の特集記事が。
そして、斎場御嶽のすぐそば、断崖絶壁の上に立てられた個人宅が紹介されていた。
庭からは、久高島が臨めるという。今回の沖縄行きが必然だったのだろうなどと言うエピソードである。

本土到着

神戸空港の到着ロビーを一歩出ると、そこは、沖縄とはまったく異なる空気が流れていた。肌にひんやりと心地よい空気。沖縄で開ききった毛穴が、またきゅっととじていく感覚を覚える。

こうして、沖縄モードから日常モードに、身体自身も切り替わるのだろうと、妙に納得してしまう瞬間である。

それから、小一時間、心地よい疲労とともに、大阪の自室に戻ったのでありました。

さて、次に沖縄に行けるのは、いつのことか。もしかしたら、来月かもしれないし、はたまた、数年先かもしれない。こればかりは。神のみぞ知ることなり。でも、もしかしたら、それほど遠くないのか・・・・という気もしている。

                      おしまい。。。。。。

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