歴史探索(12) 鶴橋周辺三社(大阪市)

比賣許曾(ひめこそ)神社は、一度、紹介したのですが、秋に行ったときにはお祀りの準備の最中で、ゆっくりとお参りできませんでした。

今日は、改めて、ゆっくりと空気を感じるために行ってきました。さらに、コリアンタウンの周辺にある、御幸森天神宮と彌榮神社も併せて紹介しましょう。

比賣許曾神社

比賣許曾神社は、鶴橋駅のすぐ近くにあります。鶴橋と言えば、韓国街で有名。ホームにおりるとキムチの匂いがすると言われるところ。(確かにします)

駅のガード下は、まるで迷路のような商店街。キムチだけではなく、チョゴリを売っていたりして、韓国の空気を思う存分吸えるところ。ただ、駅下は、少々物価は高めです。

鶴橋駅から、環状線で一つ南の桃谷の周辺には、韓国出身の方々も多く住まわれており、おいしい焼き肉屋さんが在ることでも有名。

比賣許曾神社の祭神は、下照比賣命(したでるひめのみこと)というお姫様。

下照比賣命は、新羅(しらぎ)國王之子天日矛(あめにひぼこ)の妻だったのだが、ふる里に帰ると言って難波にやってきたと伝えられている。

天日矛は、古事記や日本書紀にも、大きく取り上げられているにもかかわらず、日本神話の研究では、ほとんど取り上げられることのない人物。

日本の国は、朝鮮半島からの渡来人によって建国されたという考えを否定するかのような学者様の視野を感じてしまいます。遠い昔には、国家という概念はまだ確立しておらず、そう言う中で、中国大陸や朝鮮半島と、交流していたことは、当たり前でしょうし、人民の移動も多くあったでしょう。なにより、いまだに漢字という文字が共通的に使われている地域ですから、文化や人民交流があったことは当たり前として考え、そのなかで、日本神話を読み解くような柔軟性が必要なのだと思います。あ・・・・それてしまいました。

比賣許曾神社が、コリアンタウンの一角にあることからも、古くからの朝鮮半島とのつながりを実感できるのであります。

南北に延びる疎開道路を南に1キロほどくだると、左手(東側)に、御幸森商店街の入口がある。ここは、まるで韓国の商店街。両脇にはキムチや、チジミ、スケトウダラや韓国食材店が並んでいる。

でも、最近は、観光客も多くなり、この通りに面したお店は、ちょっと高い。そこで、少し、脇道にそれると、本場の格安キムチが手に入る。ハクサイ1/6玉分で、500円なら格安です。表通りだと、これが800円ぐらいする。

またまた横道にそれてしまいましたが、そんな商店街の入口にあるのが、御幸森天神宮。

御幸森天神宮

この神社は、御幸森のコリアンタウンの入口にあるというのに、あまり朝鮮半島の香りがしない気がします。

祭神は、仁徳天皇。そして、猪飼野(いかいの)と古くから呼ばれるこの地域の氏神です。

朝廷への貢ぎ物として、猪(豚)を飼育する猪甘部(いかいべ)の者達が住んでいたところからこの名がついたと言われている。

この地には、仁徳天皇がたびたび鷹狩りや渡来人の様子見に御幸し、森で休まれたことから、御幸森と呼ばれるようになったとも言われる。

この神社の境内には、仁徳天皇がお休みになられたと言われる磐が残されている。

境内は、きれいに掃き清められていた。

しめ縄のかかっている大木が何本かあるが、なぜか、しめ縄のかかっていないいちばん右奥の大木が、妙に気になった。

彌榮神社

天神宮から疎開道路をはさんで西側にあるのが彌榮(やえい)神社。

比賣許曾神社や天神宮よりは新しく、桃山時代文禄年間(1592年)らしい。

祭神は素戔嗚尊。

御幸森天神宮の説明板から

「御幸森」の地名の由来

このあたりは、百済野(くだらの)といい、三韓(百済・新羅・高句麗)特に、百済の人たちが多く住み、優れた文化の華をさかせていた。

また、この地は水鳥の群生する景勝地であり、仁徳天皇は鷹狩りのためにしばしば行幸したり、この地の人々の状態を見聞するための道すがらたびたび当地の森に休息したことから、このところを「御幸の森」と称するようになったと言われている。

※御幸森天神宮・・・仁徳天皇を主祭神とし、昔の東成郡猪飼野村の氏神、天皇崩御の後、この森に社殿を建立し天皇の御神霊を奉祀して。御幸宮と称した。年代は降って、平安時代中頃全国に疫病が流行し、人々は大いに恐れ苦しんだ。その時、社僧大蔵院行綱は、当宮に病気平癒、厄除の神、少彦名の命を勧請奉斎し、ひたすら厄病を祓う御祷を行ったところ、厄病は鎮まり、以後当村の者は厄病にかかることはなかったと伝えられている。

「猪飼野」の地名の由来

この「猪飼野(いかいの)」の地名の起こりは、大変古く、日本書紀の仁徳天皇14年の条に「猪甘野(いかいのつ)に橋わたす。その猪甘の津(=みなと)に由来します。後に、入江が陸地化して、「猪飼野」となったと言われている。猪甘(いかい)というのは、猪飼、猪養と意味は同じで、朝廷に献ずる為の猪(完全に家畜化した豚ではなく、半野生の猪であったろうと言われる)を飼うことで、古代にはこの津のあたりに猪飼部(いかいべ)の民が多く居住していたと思われる。

※1973年(昭和48年)2月、行政当局が、住居表示制度導入に伴い、生野区の町名から「猪飼野」の地名消滅

「鶴橋」の地名の由来

※鶴橋の元々の呼び名は「つるのはし」

「つるのはし」は、もとの平野川にかけられていたが、この川は大正時代後期の新平野川開削に伴い、埋め立てられた為、廃橋となった。この「つるのはし」は、わが国最古の橋と言われている。日本書紀に「仁徳天皇猪甘津に橋をつくる。この処を小橋と名付く」と記載されており、橋として文献に初めて登場した。そして、昔、このあたりに鶴がよく飛んできて群れ集まったことから、いつのまにか「鶴橋」と呼ばれるようになったと言われている。

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