- ウパーマにとみぃを弔う -
2006年2月26日(日)
ぐそうに行きたいという
朝起きると、あんじょう二日酔い。夕べの話は、重すぎて、とてもしらふでは聞いていられなかったものだから、ついつい飲み過ぎてしまって・・・・・(天の声:話が始まる前にボトルを空けたのは誰じゃ)
顔を洗おうと、1Fに降りると、ちょうど坂本さんと顔を合わせた。
「二日酔いですか?」としっかりとチェックされてしまった。面目ない。
外は雨が降っている。でも、沖縄の雨は、先ずは長く降らない。気候が熱帯に近いからだろう。そのかわり、降るときはスコールのように、どっしゃ~~~と降る場合が多いので注意が必要。傘が無くても、ちょっと雨宿りしていれば、何とか濡れずにいられるのがいい。多少濡れても、それほど寒くないのは助かる。
雨を見ながら、朝食をとみこと摂った。うじゅーに飲み物、たんかんという簡単なものだけれども。
ここで、すこし、久高島に関する話などをする。岡本太郎の本について。風葬のこと。墓あばきのこと。その後のイザイホーへの参加による住民との摩擦のことなど。
そんな話をしていたからだろう。とみこが、ぐそう(後生)に行ってみたいという。ぐそうとは、墓場のこと。特に古いお墓を古ぐそうと言う。
風葬をしていた当時の場所。
私自身も、それほど詳しく場所が特定できているわけではないが、最近のお墓よりも、少し北に寄った、古い亀甲墳があるあたりと思っている。
沖縄の墓はでかい。門中墓といい、お盆の時期などは一族が墓の前に集まり飲み食いをする。墓の前には、それだけのスペースがしつらえてある。しかも、墓は南向きの一等地に建てられていることが多い。先祖さまをそれだけ敬う気持ちの表れだろう。
門中墓の遺骨を納めている部分が、子宮をかたどっていると言われている。死してまた、子宮に帰って行くのだという。その形状から、亀甲墳とも呼ばれている。
久高島にも、西海岸の断崖の上に、いくつかの古い亀甲墳がある。それだけ立派なものは、おそらく島でも相応の地位にある方のものであろう。そして、多くの住民は、立派な墓に入ることもなく、海岸に棺桶に入れられ、風葬として荼毘されていたのだろう。


しかし、はっきり言って、そんな場所に、できればあまり立ち入りたくはない。やはり、かなり重たい場所である。当然、長くとどまりたくもない。
食事を終えた頃には、雨も上がっていたので、散歩がてら、ぐそうあたりまでとみこを連れて行った。
新しいお墓は、本土のものと、あまり変わらない墓石である。そこに書かれた名前は、久高島では多い、西銘、糸数、外間、久高などが見られる。
そこから海沿いに延びる道を北に向けて少し歩くと、風景が少し古びてくる。草むした亀甲墳が左手に点在する一帯に出る。さらに進むと、西海岸の絶壁の斜面に作られた亀甲墳もある。
きっと、このあたりの下の海岸が古ぐそうなのではないかと思う。
(確認したわけではないので、あくまでも、私の感覚的なものだけで言っています。)
橋川
さらに北に進むと、川が点在する一帯になる。川とは、水の湧き出ているところ。西海岸の中程に点在している。断崖に作られた階段を海まで降りていくと、質素な水くみ場が作られている。
そのひとつ、橋川に降りてみた。
そこには、ここは飲料水のためのものであり、水浴びをしたら罰金刑という注意書きがある。罰金が1銭とあることから、昭和初期以前ぐらいのものであると思われる。

それにしても、川に降りるまでの道が荒れている。あまり、整備もされていないのか、できないのか。訪問する毎に朽ちていく気がして、とても気になる点である。



そのあたりまで来たときに、再び、大粒の雨が落ち始めた。ふたりして、急いで、交流館に駆け戻った。 つづく。。。。。


