久高島訪問記 其の5 (5)

- ウパーマにとみぃを弔う -

2006年2月25日(土) つづき

徳仁港から集落へ

徳仁港から丘に上がる坂の手前、右手に、忘れられたようにあるのが、「徳仁がー」。

久高島で「がー」とは「川」のこと。しかし、水がとうとうと流れるような川はない。雨水がしみこみ、石灰岩の隙間から、湧き出しているところ、つまりは泉のようなところを「がー」という。

島に水道が引かれるまでは、住民の貴重な飲み水を得る場所だったため、それはそれは大切に守られてきたのだろう。しかし、水道が引かれ、水の入手が手軽になるとともに、「がー」も忘れ去られつつあるように思ってしまう。

島の西海岸沿いには、いくつも「がー」が存在している。ちょっとした絶壁を階段で海まで降りて行くと、岩の割れ目に、水くみ場が作られている。しかし、降りていく階段が、年々荒れていく姿を見るのは、少しつらい。

丘に上がると、ちょっとした公園になっており、すぐ右手には港の売店がある。そして、その先にあるきれいな建物がレストラン「とくじん」。
道をはさんだ向かい側にあるのが、食事処「けい」。これら二軒が、島で外食をできる数少ない場所である。

その前を抜け、左手に折れ、すぐまた左手に折れたところにあるのが、にらい荘。にらい荘の前から右に延びる道が集落を抜けて交流館まで続く道。途中には、初訪問の際にバーベキューに飛び入りした民宿にしめもあるし、そこに参加していた子だくさんの糸数家もある。

島の中で、この道がいちばんのお気に入りの道。しばらく歩くと、久高小中学校の門の前を通る。子ども達がいれば、かならず、明るい声で挨拶してくれる。

迷路のような集落の中の路地を進むと、ちょっとうっそうとした場所に出る。そこは、集落の外れ。それより北に、民家はない。そこを抜けると、場違いなオレンジ色の屋根の大きな建物が目に飛び込んでくる。ここが、宿泊交流館。

道々で、とみこに、そう言ったことを少しずつ解説しながら、ゆったりと交流館までの道を歩いた。

宿泊交流館チェックイン

今回の沖縄訪問を前に、交流館と連絡を何度か取り合っていた。伊豆さんという方が、丁寧に対応してくれた。久高島を訪問する日も伝え、西銘館長(区長)にもよろしくお伝えくださるようにお願いしていた。

伊豆さんが、交流館の面倒を見ているということで、ホームページや案内図などもずいぶんと内容が濃くなっていた。

そう。2001年当時、初めて来たときには、ホームページなんて知念村のページの片隅にあっただけだったので、安座真港で地図を入手するまでは、宿泊施設さえどうなっているのか分からなかった。

それに比べれば、ずいぶんと情報を入手しやすくなったものである。
一方で、久高島のことをあまり知らないまま、何となく訪問する人も増えてしまうことになったことだろう。島にとって、良かったのか悪かったのかは、なかなか判断のつかないところと思われる。

もともと一人だけで予約を入れていたのだが、とみこと合流した時点で、今晩の宿泊を確認し、もう一部屋、抑えておいた。ただし、食事がないんだよね~ 夕食は、外で食べるとして、朝食はうじゅーをおすそ分けするか。

受付には、女性がいた。挨拶をして、今日宿泊を予約している「創結マスター」と、先ほど連絡した連れの「とみこ」であることを告げ、チェックインした。伊豆さんについて訪ねると、今日、明日は本島に出かけていて戻らないという。残念。

さらにさらに、西銘区長も、知念村で還暦祝いをやるために、島に戻るのは2日後の昼だという。あっちゃ~~~~。楽しみにしていた二方に、会えないことが判明。

ま、そんなこともあるさ。そのために、今回は、とみこという連れを神さまが準備してくれたと考えるべきだろう。

二階の部屋に、荷物を置いて、少し、島の散策にとみこを案内することにした。

あ・・・・当然部屋は別々ですよ。念のため。

それにしても、進行が、やたらのろい。いつまで続くやら。。。。  つづく。。。

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